井崗山は江西と湖南の境界を南北に走る羅霄山脈のなかほどにそびえる山。平均海抜千mとさほど高くはないが、 ほぼ東京都に匹敵する広大な面積を持ち、きわめて険しい山岳地帯となっている。1927年10月、秋収蜂起 に失敗した毛沢東が、残存部隊を率いて入山し、革命根拠地を築いたところとして有名。翌年には、 朱徳や陳毅に率いられた約1万人の部隊が合流し、中国工農紅軍第四軍が創設された。各地に旧跡が残る。南昌からバスで10時間。

 

中国工農紅軍第四軍軍部旧址

中国工農紅軍第四軍の司令部が置かれたところ。もとは漢方薬店で、毛沢東らは ここで起居・執務した。寧岡県の県城の竜江河畔の後街にある。

 

茅坪旧址群

井崗山時代最初の政府機関が置かれた場所。1927年、井崗山にはいった毛沢東は、 最初この村に行政機関を置き、根拠地の中心とした。当所には地区工農政府跡や紅四軍軍部跡など 多くの旧跡が残っているが、なかでも有名なのが八角楼である。ここは当時、毛沢東が住居として 使っていた建物で、「中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか」という有名な論文を 執筆した場所。また八角楼の前にある慎公祠は1928年5月、湖南・江西境地区第1回代表大会が 開かれた場所である。さらに攀龍書院の1階と2階は紅軍病院として使われており、 3階は毛沢東の執務室だったところである。湘江辺界特別委員会・湘江辺界工農兵政府・ 紅四軍軍部・兵器工場など革命旧址が集中している。朱徳・彭徳懐・陳毅らの旧居もある。 茅坪は、寧岡県の東南。

 

五大哨戒所

敵の侵入を防いだ五大哨戒所の跡。それぞれ双馬石・八面山・黄洋界・桐木嶺・朱砂沖と呼ばれる。 1927年10月、毛沢東軍は、双馬石を通って井崗山に入山した。

 

大井

毛沢東が住んだ旧居がある。茨坪の西北7キロ。

 

小井

紅軍病院があった場所。近くにあるくぼ地は1929年、主力部隊が出払ったあと、敵軍が侵入し、病院にいた 100人あまりの傷病者を殺害したところ。殉難した烈士の墓がある。茨坪の西北6キロ。

 

遊撃洞

1929年1月、敵軍が哨戒所を突破して侵入してきたさい、紅軍がひそみ、長期にわたって戦いを続けた 洞窟。内部は、500人の収容能力があるといわれる。茨坪から15キロ。

 

七渓嶺

1928年6月に始まった「七渓嶺戦闘」の戦場となったところ。紅軍はゲリラ 戦術で敵軍を惑わし、 消耗させ、敵軍部隊1000人余りを殱滅した。

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こちらは電子本です。豊富な写真付きです。
第一集<アヘン戦争・太平天国・洋務運動>編
第二集<辛亥革命・国民革命>編
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