1928年4月末、朱徳の率いる南昌蜂起の残存部隊2000人および鉱山労働者や農民の武装部隊 6000人が井崗山へのぼってきた。ここは、合流した毛沢東の部隊と朱徳の部隊が、 紅軍第4軍として再編成された場所。合流した両軍は、新たに中国工農紅軍第4軍と称され、 毛沢東が党代表、朱徳が軍長に就任した。またこの時、毛沢東は、有名な「3大規律8項注意」を定め、 下士官から兵卒にいたるまで徹底して遵守させるようにした。広場には演壇が復元され、 当時の様子が再現されている。なお広場の前の会師橋は、両軍が最初に出会ったところである。井崗山市の西北、永新県と境にある。

 

龍江書院

1928年春、井崗山にやってきた朱徳が毛沢東と最初に会見した場所。ふたりの会見は、 そのうち文星閣と呼ばれる3階建ての建物の2階で行われた。もとは清朝時代につくられた学校で、 井崗山時代は将校を訓練する軍官教導隊がおかれていた。井崗山会師記念館が併設されている。会師広場の近く。

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月末、
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こちらは電子本です。豊富な写真付きです。
第一集<アヘン戦争・太平天国・洋務運動>編
第二集<辛亥革命・国民革命>編
捏造支那近現代史の旅出版部→

One thought on “毛沢東朱徳会師広場”

  1. 上海クーデター後、秋収蜂起の失敗を経て井崗山に落ちのび、山賊に身をやつしていた毛沢東は、朱徳が大部隊の紅軍正規軍を率いてやってきたのをみてほくそ笑んだ。そして八方手を尽くした上で朱徳をペテンにかけ、その兵力をわがものとした。人のよい年上の朱徳はそのまま毛沢東の配下となった。

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