太平天国
-
高杉晋作の見た上海
維新の立役者高杉晋作が、貿易船『千歳丸』に乗船して上海を訪れたのは一八六二年六月のことである。ちょうど、そのころ太平…
-
恭親王奕訢の暴言
太平軍は弁髪を切り、長髪にしていたため清朝側はこれを長髪賊とも呼んでいた。皇族の恭親王奕 は「ロシアは肘腋の憂いであり…
-
天父下凡
太平天国の神秘的性格を象徴しているのが、東王・楊秀清への天父下凡である。これは、天父エホバが楊秀清に乗り移って託宣す…
-
洪秀全の後裔を名乗る日本人
一九三〇年代のはじめのこと、洪秀全の故郷、広州花県の官禄坿に一人の日本人がひょっこり現れた。男は最初、広州の日本領事…
-
太平天国の呪い
太平天国軍の不穏な動きを知った清朝は、これをまだ芽のうちに弾圧しようとした。そこで白羽の矢が立ったのはかつてのアヘン…
-
象鼻山
金田村から北上の途についた太平天国軍は1852年4月、当所に砲台を築いて桂林を攻略しよう とした。しかし、 桂林の守り…
-
永安州城遺址
金田蜂起後、潯江と黔江の流域を転戦していた太平天国軍は、1851年9月25日、 永安州(現在の蒙山県)を 攻略し、ここ…
-
陳玉成生家
太平天国末期の将軍、英王陳玉成の生家。金田村に近い藤県の大黎郷の山中にある。
-
大成国王府遺址
1855年4月、太平天国の戦いに呼応して秘密結社天地会の首領陳開と李文茂が4万 人あまりの民衆を率いて広東で蜂起した。…
-
太平天国金田蜂起歴史陳列館
1851年1月、洪秀全は紫荊山のふもと金田村に集まった信者1万人あまりを前に、太平天国の建国を宣言、信者を武装させ、 …