
秋瑾故居
清末の女性革命家秋瑾の実家跡。役人であった祖父の任地、福建アモイに生まれた秋瑾は16歳のとき、 家族とともに紹興に帰郷、ここで少女時代をすごした。その後、21歳で結婚、夫にしたがって北京へ出たものの、 1900年に起こった義和団事件を目の当たりにし、革命家となることを決意。夫と子供を置いて日本へ留学した。帰国後は、 再び紹興に舞い戻り、体育学校の校長という身分を隠れ蓑に同志の徐錫麟らとともにひそかに革命運動を推し進めた。だが、 1907年夏、徐錫麟の安慶蜂起が失敗すると、共同謀議のかどで逮捕、処刑された。なお伝えられるところによれば、 処刑の際、「秋雨秋風人を愁殺す」という絶命詞を残したとされる。実家跡は現在、秋瑾故居および秋瑾記念館として 一般公開されている。館内には彼女の書簡や詩文、生前愛用していたショールや日本刀、さらに外出の際、 常に身につけていたという拳銃などが展示されている。市内解放南路を南にくだり、応天塔を右側にはいった 和暢堂22号にある。

秋瑾

捕えられた秋瑾
【関連史跡】なお処刑場となった解放路の軒亭口には現在、秋瑾烈士記念碑がたっている。また府山公園には秋瑾を記念 した東屋、風雨亭がある。
秋瑾紀念碑
1917年7月16日朝、秋瑾はここで処刑された。碑は辛亥革命勝利後に建立されたもので、正面に「秋瑾烈士紀念碑」 の題字が彫ってある。紹興市の解放路のちょうど真ん中 あたりの軒口亭。