
義和団事件後も満州に居座るロシア軍
義和団事件のさいロシア軍と戦った清朝の将軍寿山をまつった祠。1900年7月、義 和団の排外運動が東北にまで広がると、 ロシアは10万の兵力を送って弾圧に乗り出した 。これに対し、寿山は対露投降を主張する東北三省の将軍たちのなかでただ1人、 徹底抗戦を主張。清軍を率いて義和団とともに孤軍奮闘した。だが、チチハルがロシア軍に占領されると自ら死に就いた。なお寿山は、 明代末期の有名な武将袁嵩煥の後裔で、当時は愛琿副都統を経て黒竜江将軍の地位にあった。龍沙公園にある。