旅順虐殺

旅順虐殺時のものとされる写真

日清戦争に従軍したある兵士は、こう告白している。「支那兵と見たらこれを殺し、旅順市中でも人の姿を見たら皆殺した。そのため、道路は死人ばかりとなり、歩くにも不便だった。家に隠れている者まで殺したので、たいていどの家でも二〜六人の死者は当たり前だった。血はあたりに流れ、悪臭は鼻についた」。当時の『ニューヨーク・ワールド』紙も、日本軍が6万人の非戦闘員を殺害したとして、日本を「文明の皮をかぶった怪獣であり、今や野蛮の本性を現した」と口をきわめて非難している。

一見すると南京虐殺と似たような構図であり、こうした事件を一概にこうだと決めつけるのは難しいが、どうやら旅順での虐殺行為は少なくとも一部では実際にあったようだ。ただ日本側にもそれなりの言い分があり、それによると先発した日本側の偵察隊の死体が、清国人によって陵辱を加えられたことがきっかけだったらしい。凌辱を加えられたかつての戦友たちの遺体を目の前に見て激昂した日本兵が、軍人と市民の別なく、婦女子や乳幼児までも見さかいなく殺害してまわったというのだ。

日本人は死ねば誰でも仏様になると考えている。だからどんな大悪人でもその死体を損壊したり、粗末に扱ったりすることはしないのが普通の日本人だ。それはとりもなおさず神仏への不敬行為にあたると考えるからだ。

ところが中国人はそうではない。中国人は憎いと思った相手に対してはその死体にムチを加え、凌辱を加えることをタブーとは考えないし、むしろそうすることが殺された者たちへの仇討ちの手段として奨励すらされていた部分もある。そうした中国人の考え方は、死ぬまで肉を薄く切りはいでいく「凌遅刑」という残虐な刑罰が20世紀のはじめまで続いていたことからもうかがえる。

このように死者に対する考え方が、日本人と中国人ではまるっきり異なる以上、こうした衝突が発生したのはいわば必然だったともいえるだろう。ある意味、この事件は虐殺と呼ぶより文化的な衝突といった方がよいのかもしれない。

ふだんは礼儀正しいが、いったん頭に血がのぼると見境がなくなるのはたしかに日本人の悪い癖である。しかしながら、その後の第二次世界大戦において、日本軍によるとされる残虐行為の多くが、東南アジアや太平洋など他の地域ではなく、中国戦線に集中して発生しているというのも考えてみれば不思議な話である。もちろん、それはたんに敵国であった中国側の水増し報告や誇張という可能性も十分考えられるわけだが、もしかしたら戦場における兵士の行動は、本来の資質ばかりでなくその地域の文化や環境などにもおおきく左右されるものなのかもしれない。

ちなみに、「捕虜になるくらいなら自害せよ」というのが日本軍に根づく伝統的な考え方だが、これはこのときの経験から生まれたという説がある。中国では捕虜となった敵に対し、陵遅刑を含む残虐な拷問を加える。だから、そうなるくらいならいっそのこと、その前に自害せよという意味である。

 

 

 

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