上海今昔

大世界

大世界

上海の暗黒街の大ボス杜月笙らが経営していた一大歓楽場。アヘン吸引所から賭博場、売春宿など、 東洋の魔都上海にあるすべての娯楽と背徳がつめこまれていた。新中国成立後は、人民娯楽場、 上海市青年宮と名をかえてきたが、現在は再び「大世界」の名にもどった。ダンスホールやカラオケルーム、 コンサートホールなどがある。

工部局

工部局跡

もともと都市づくりの土木工事をおこなう役所だった工部局は、その後、租界の徴税権をにぎり、 やがて事実上の行政機関となった。現在、上海市のいくつかの政府機関がはいっている。

パブリックガーデン

黄浦公園

解放前、「犬と中国人は入るべからず」という侮辱的な立て札があったことで有名な 旧パブリックガーデン。現在は、黄浦公園と呼ばれている。最近、全面改修されたこともあり、 かつての面影はあまりない。

虹口公園

虹口公園の魯迅像

今の魯迅公園。虹口と呼ばれるこのあたりは、かつて大勢の日本人が生活していた地区である。

ガーデンブリッジ

ガーデンブリッジ

上海のシンボルともいえるのが、蘇州河にかかるこのガーデンブリッジ。中国語では外白渡橋といい、 一説によると「外国人は無料で渡れる橋」という意味らしい。

上海ブロードウエーマンション

上海ブロードウエーマンション

現在の上海大廈ホテル。かつて、ガーデンブリッジとともに上海のシンボルとされた建物で、 有名な女性スパイ川島芳子が常宿としていたという。また日本軍の物資調達を担当した児玉機関が おかれていた。

キャセイホテル

現在の和平飯店北楼

上海に君臨したユダヤ系財閥サッスーン一族が所有するホテルで、支那事変当時、 各国の外交官やスパイが互いに情報収集にしのぎをけずっていた。現在は、和平飯店北楼となっている。

香港上海銀行(匯豊銀行)

一時中国共産党が使用していた

上海の経済を支配した銀行で、いわば当時の帝国主義のシンボル的存在。現在は、 上海市人民政府と上海市共産党委員会の建物となっている。

四馬路(スマロ)

1980年代の上海の街並

かつて「夢の四馬路か虹口か」とうたわれた上海きっての歓楽街四馬路は、今の福州路にあたる。 ちなみに南京路が大馬路(ターマーロ)で、ここから南へ平行に走る道路を順に、二馬路(九江路)、 三馬路(漢口路)と呼んだ。

 

 

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