綏遠事件

徳王

1936年11月、関東軍が綏遠省(現在の内蒙古自治区西部)を中国から分離独立させようとして武力蜂起を試み、失敗した事件。

当時、関東軍の板垣征四郎中将と田中隆吉参謀は、ソ連ー外蒙古ー中国共産党政府を結ぶルートを遮断すると同時に満州国の安定をはかる目的で、内蒙古を独立させる構想を抱いていた。いわば第2の「満州国」構想である。

この構想に沿って関東軍は当時、声望のあった民族主義者の徳王らを抱き込み、蒙軍と漢軍からなる謀略部隊を組織した。これを使って国民党支配下の綏遠省主席傅作義を追い出そうというこころみだ。

ところが、この謀略部隊というのが雑兵の寄せ集めで、ほとんど役に立たない。11月上旬、王英なる人物が率いるこの謀略部隊ー大漢義軍ーが内蒙古独立を掲げて決起したものの、攻撃目標の平地泉まで進攻するにいたらず、その手前の紅格爾図(ホンゴルト)で傅作義軍の迎撃にあい、あっけなく敗走。さらに傅作義軍は余勢を駆って百霊廟を占領、そこを守っていた蒙古軍も何ら抵抗することなく先を争って逃走してしまったのである。さらに関東軍は、金甲山なる人物が率いる部隊を使い、百霊廟奪回作戦を起こしたがこれも失敗。その上、攻めあぐんだあげく部隊ごと敵に寝返ってしまうという始末だった。

その後、西安では、張学良が蒋介石を監禁して抗日を迫るという事件が発生。これによって傅作義追い出し工作は、一時中断を余儀なくされた。だが翌年、支那事変が発生すると今度は日本軍が公然と出動。圧倒的な戦力でもって傅作義軍を駆逐することに成功すると、徳王を主班とする蒙疆自治政府を樹立したのである。

徳王府

 

 

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