
沙面
西洋列強の中国侵略の足がかりとなった租界が置かれた場所。沙面は本来、日本の長崎出島同様、海禁政策をとる清朝によって設置された外国商人用の居住区にすぎなかったが、アヘン戦争後は治外法権を持つ独立行政区、すなわち租界として 生まれ変わった。敷地内には当時の外国商館や領事館だった南洋植民地風の重厚な石造建築がそのまま残っており、あたりを 覆ううっそうとしたガジュマルの老木とともにいまも往時の風情がしのばれる。なお当時は西半分がイギリス租界、東半分が フランス租界として使用されていたという。市内の南方、珠江に面している。
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