鄧廷(貞)墓

アヘン戦争の際、林則徐とともに主戦論を主張した元両広総督鄧廷(貞)の墓。最初、アヘン緩禁論者だった鄧は、のちに徹底した厳禁論者となり、アヘン戦争勃発後は 浙総督に転じ、1840年7月、軍を率いて、厦門に侵入してきたイギリス艦隊を撃退した。 しかし、当時宮廷内で実権を握っていた対英投降派によって林則徐とともに伊犁(現、新疆自治区伊寧市 )に左遷された。その 後、いったん陜西巡撫に返り咲いたが、1846年、任地の西安で死去した。南京市の仙鶴門外、霊山の麓にある。

 

 

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