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張鼓峰事件跡

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1938年7月31日、ソ満国境の張鼓峰で起こった国境紛争。豆満江を臨む張鼓峰はもともと満州国の領土だったが、この年7月、ソ連軍が突然やってきて山頂に陣地を構築しはじめた。
日本政府は当初、外交交渉によってこれを解決しようとしたが、功をあせった現地の日本軍が独断で出動、ソ連軍に夜襲攻撃をかけ張鼓峰を奪回することにいったん成功した。ところが、ソ連軍はこれに対し、飛行機、戦車、重砲など当時世界の最先端を行くハイテク兵器を総動員して徹底的な反撃に出る。
こうしたソ連軍の猛攻の前に、前近代的で貧弱な装備しか持たなかった日本軍はなすすべもなく、戦死者の数は一時、日に200人を数えるまでになったという。これに対し、軍中央には撤退すべきという声もあったものの、参謀本部は撤退は不名誉なこととしてこれを拒否。日増しに増える犠牲者を無視し続けた。
これを救ったのは、8月10日にモスクワで結ばれた停戦協定だった。これによってソ連軍の猛攻は止み、現地日本軍はかろうじて全滅を免れたのだった。
これは近代化されたソ連軍の実力を日本軍が身を以て思い知らされた事件であった。しかしながら、ここでの教訓はいかされることなく、翌年のノモンハン事件では、 日本軍にさらに大きな犠牲を強いることとなった。現場は琿春市の東方。図面江沿いのロシアと北朝鮮との国境地帯。

 

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