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通化事件跡

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1946年2月3日、日本敗戦後、進駐してきた中国共産党軍に対し、日本人が武装蜂起を行った。 通化事件と呼ばれるこの衝突によって、決起部隊の大部分が戦死し、残った日本人も獄死するなど 合わせて1000人以上が犠牲になったといわれる。一説によると国民党軍が裏で蜂起を画策した といわれるが、真相はいまだ謎に包まれている。戦闘は市内各地で発生したが、 もっとも激しかったのは、当時中国共産党司令部が置かれていた龍泉ホテル周辺での戦い。また、 戦闘の合図となった烽火は市内東隅にある玉皇山で上げられた。

 

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通化事件で重要な役割を果たした藤田大佐
通化事件で重要な役割を果たした藤田大佐
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