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旅順 粛親王王府跡

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辛亥革命後の1912年、清朝復興を悲願とする旧筆頭皇族・粛親王善耆が日本人大陸浪人川島浪速の手引きで北京を脱出。日本軍の管理下にあった旅順に亡命してきた。ここはその粛親王がその一族と暮らした邸宅跡。

粛親王家は満州鑲白旗に属する名門で、清朝の八大世襲王家の筆頭に数えられている。初代粛親王ホーゲは清朝建国時に活躍した武将で、善耆はその10代目にあたる。

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粛親王善耆は、清朝末期の早い時期から日本の明治維新に習うべしとして、立憲君主制のもとでの体制変革を主張していた。とくに義和団事件後は、政府の要職についてさまざまな改革を押し進め、開明皇族として知られていた。摂政王醇親王暗殺未遂事件の際、犯人である汪兆銘の人物を見込み、その助命嘆願をしたのもこの粛親王とされる。

 

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粛親王
粛親王

また義和団事件の解決に活躍した日本人大陸浪人・川島浪速と義兄弟の契りを交わしたことはよく知られたエピソードである。

1911年、辛亥革命が勃発すると恭親王とともに宣統帝の退位に強く反対したが、退位がさけられないとみるや、川島浪速の手引きで北京を脱出。日本軍の統治下にあった旅順に一族を引き連れて亡命した。

そこで清朝復興をめざす宗社党の中心人物となった粛親王は、1912年と16年の二度にわたって満蒙独立運動を引き起こすも、準備不足や政治情勢の急変などによりいずれも失敗に終わった。

22年に急死した後は、清朝復興の悲願は娘の愛新覺羅顯玗、日本名・川島芳子に引き継がれることになる。ちなみにのちに男装の麗人として知られるようになるこの有名な女性スパイは5歳から8歳までの3年間をここで暮らした。

また善耆の第7王子で、満蒙独立運動に父の名代として参加した金壁東(後の満州国初代新京市長)もここで育った。

さらに愛新覚羅溥儀も満州国執政就任のため新京に移動する前、妻の婉容とともに滞在したことがあるという。

幼年期の川島芳子
幼年期の川島芳子

ここはもともとロシア軍の官舎だったものを日露戦争後、日本が接収。関東軍民生部長官宅として使用していた建物である。

だが、1945年、戦争で日本が敗れると後ろ盾を失った一族はここを退去、進駐してきたソ連軍に接収された。戦争に翻弄され続けたこの建物は数奇な運命の末、こうして40年ぶりにふたたびロシア人の手に戻ったのである。

なお敷地内にあったとされる粛親王の功績を記した石碑は、中華人民共和国成立後にいったん破壊されたものの、のちにその下半分が見つかり、現在、旅順監獄旧址内に保存されている。

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大連市旅順口区新華大街9号にある。

 

旅順の日本人学校に通う粛親王の子供たち
旅順の日本人学校に通う粛親王の子供たち

 

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