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黄河決壊跡

徐州
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1938年6月、徐州を追われた蒋介石軍は、花園口付近で黄河の堤防を爆破し、日本軍の追撃をかわそうとした。 だが、決壊した部分からあふれ出た水は、奔流となってまたたくまに河南平野全域をのみこみ、 90万人の溺死者を出す惨事となった。その後、解放直前の1947年に決壊部分が修復されるまで、 このあたりは泥土で覆われた不毛の土地となっていたという。現在は灌漑技術がすすみ、 空の青、植樹の緑がコントラストをなす美しい渡し場となっている。鄭州市の北18キロの黄河南岸。