満蒙独立運動

トップ > 時代別歴史 > 満州国

満蒙独立運動関連史跡 カラチン王府

カラチン旗
川島浪速と粛親王川島浪速と粛親王

満蒙地域を独立させようという試みは、満州事変以前にも何度かあり、なかでも有名なのが辛亥革命後二度にわたって発生した満蒙独立運動である。

このうち第一次満蒙独立運動は、清朝崩壊直後の1912年に起こったもので別名宗社党事件ともいう。中心となったのは粛親王ら清朝遺臣からなる宗社党という清朝復辟をめざす満州人の政治結社。これに川島浪速をはじめとする日本人大陸浪人グループが義勇軍として加わっていた。

辛亥革命直後、最後の皇帝となった溥儀は、事実上北京に軟禁状態にあったが、これを新政府による満州併合の謀略とみた川島は筆頭皇族だった粛親王をかろうじて満州の旅順に脱出させることに成功(辛亥革命後に樹立された中華民国政府が廃帝溥儀を故郷の満州へ帰らせず、北京に監禁したのは清の版図をそっくり新政府のものにしようという腹づもりからであった)。同時に清朝派のモンゴル人とともに満州民族の独立を旗じるしに蜂起を試みた。

計画によれば、日本から調達した武器を満鉄線公主嶺から内蒙古のカラチン王府とパーリン王府まで秘密裏に輸送。同地のモンゴル人部隊による武装蜂起を促すというものであった。だが、武器輸送の段階でこれらの動きが発覚。中国側を通して欧米諸国の知るところとなったことから外交問題になるのを懸念した日本政府によって中止命令が出された。

伊達順之助伊達順之助

1916年の第二次満蒙独立運動の首謀者となったのも、やはり宗社党と日本人大陸浪人グループであった。今回はこれに加え、蒙古独立を悲願とする蒙古人パプチャップが主力部隊として参加していた。また檀一雄の小説『夕日と拳銃』の主人公となった日本人馬賊・伊達順之助も加わっていたという。

計画ではまずパプチャップが北満州でのろしを挙げた後、それに呼応する反乱部隊とともに奉天を一気を占領。さらに北京を襲って内外蒙古と満州および華北を併せた「北清帝国」を建設するというものであった。

だが、この計画も袁世凱の急死によって再び頓挫する。袁世凱打倒という大義名分を失った日本政府は外交摩擦をおそれまたもや中止を命令したのである。その結果、すでに挙兵していたパプチャップは孤立無援の状態に置かれたまま敗走。内蒙古の林西まで逃げ延びたところで流れ弾に当たって死亡した。ここに第二次満蒙独立運動も第一次と同様あっけない幕切れを迎えたのである。

なお、この第二次独立運動には、日本の財閥大倉喜八郎も一枚かんでおり、当時の金で百万円を資金として差し出したといわれる。一説によれば、間島(満鮮国境地帯)に東洋のスイス ともいうべき中立の独立国を造り、大倉をその王にするという密約が川島らと交わされていたというがたしかなことはわからない。カラチン、林西ともに内蒙古自治区内にある。

『夕日と拳銃』
満州の荒野を駆けめぐり、満蒙独立という壮大な夢とロマンを追い、燃え尽きた男、伊達麟之助の生涯。後篇は彼の死までを描く。伊達家に生まれ、満州に渡り山東自治聯軍に参加、戦後処刑された伊達順之助がモデル。檀一雄の代表作。

時は大正末期。伊達政宗公を遠祖にもつ伯爵家に、九州から一人の男がやってきた。男の名は伊達麟之介。幾多の学校を転々としては放校退学を繰り返す無法者ながら、胸がすくほどの豪傑さで、人々を惹きつけていく。しかし、麟之介が放った拳銃の一発が、彼の運命を劇的に変えていく―。最後の無頼派・檀一雄が、実在の日本人馬賊をモデルに描いた壮大なスケールの長編小説。発表当時、各方面から大絶賛された名作が甦る。

『黄塵を駆ける』
明治薩長体制の管理を離れ、広大な中国の大地に雄飛した今野頑太ら若き壮士たちは、自らの理想を大陸に実現せんと血と汗を流す。一方、上海行の船上で知り合った天草の少女・お静は、頑太を慕いながらも、苛酷な運命にもてあそばれて娼館へ売られていった…。アジア十億の民衆の平和と幸福を追い求め、日中の交流に全人生を捧げた男たち。その熱血ロマンを壮大なスケールで描いた、傑作冒険小説。名もない農民として孤児とともに暮らす主人公が、馬賊に墜ちて村を襲った元部下のパプチャップを諭すくだりが印象的。軍事探偵や大陸浪人もので知られる胡桃沢耕史の名作。

カラチン王府跡カラチン王府跡
林西林西

パプチャップ
【パプチャップ】
( 1875 〜1916) 蒙古独立を叫んで川島浪速らと挙兵したモンゴル人将軍。日露戦争の際、日本側の特殊部隊・満州義軍に参加した功で、戦後しばらくは郷里の彰武県で警察署長の地位に就いていたが、その後、清朝が倒れ外蒙古が独立を宣言すると自らも独立軍への参加を決意。腹心の部下36騎を引き連れてウランバートルへと馳せ参じた。そこで外蒙古政府の事実上の元首である活仏から東南方面軍の司令官に任ぜられたが、外蒙古政府のかげに内外蒙古の分断を既成事実化しようというロシアの策謀を嗅ぎ取るや憤然として外蒙古政府のもとを去る。内蒙古・西烏珠穆沁旗の西、ダブソン・ノールの塩湖を拠点に、そこで得られる塩を財源として内外蒙古と満州を合わせた独立国樹立の機会をうかがっていたパプチャップは、その後、第二次満蒙独立運動に参加するも、袁世凱の急死による日本政府の方針転換によって計画は頓挫。その際、林西における中国軍との戦闘で流れ弾に倒れ、死亡した。なおその息子カンジュルチャップは満州建国の功臣の遺児として、のちに川島芳子と結婚することになる。
写真資料
関連スポット

日中戦争は誰が引き起こしたのか?

中国歴史(近現代史)観光ガイドPAGE TOP