馬占山黒龍江省政府跡

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馬占山黒龍江省政府跡

ハルピン
海倫
馬占山

1931年冬、日満連合軍に追われ、チチハルを撤退した馬占山は一時、この街に黒龍江省政府を置いた。 その後、関東軍の板垣征四郎参謀らは、海倫へ直接乗り込み馬占山と会談、満州国への帰順を説得した。 やがて内外の情勢から帰順に傾いた馬占山は、翌年2月、ハルピンで関東軍の多門師団長と会い、 正式に帰順を表明した。場所は、当時「広信当」と呼ばれた大商店。現在は、海倫人民銀行として使われている。

馬占山
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【馬占山(1885〜1950)】
吉林省懐徳県の出身。馬賊から身を起こし、のちに黒龍江省長万福麟の配下となる。満州事変が勃発すると、本拠地チチハルを留守にしていた万福麟に代わり、黒龍江省主席代行として、満州北部に侵攻してきた日本軍を迎え撃った。嫩江の戦いや昂渓渓の戦いでは、日本側に大きな犠牲をもたらし、一躍、全中国の英雄となるも関東軍に懐柔され、満州国への参加を決意した。黒龍江省長兼軍政部長に就任したものの、まもなく 離反。省都チチハルを脱出して黒河へ逃走し、再び抗日活動に身を投じた。

満州国を離反したのは、日本が過度に主導権をにぎることに反発したためといわれるが、これとは別に満州国の建国祝宴の席上、自分の名前すらろくに書けない無学文盲ぶりを嘲笑されたことが原因だったという説もある。ともあれ、この馬占山将軍、どじょうひげをはやした愛嬌のあるスタイルのせいか、なぜか日本でも人気者となり、当時、子供たちの間で「馬占山ごっこ」遊びが流行ったり、なかには、盗品を売った金で遊廓に居続けご用となった自称馬占山大尽なども現れたという。


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