ジェスフィールド七六号跡

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ジェスフィールド七六号跡

ジェスフィールド七六号ジェスフィールド七六号跡

重慶側のテロに対抗するため日本軍の肝いりで造られた「対重慶特工総部」の建物跡。 ジェスフィールド76号はその通称名で、本部がジェスフィールド路76号にあったためそう呼ばれた。

このジェスフィールド76号は 「中国人テロには中国人テロを」という方針のもと元国民党特務の丁黙邨と李士群を責任者にすえ、 藍衣社やCC団など蒋介石系特務機関を向こうに回して当時熾烈なテロ合戦を展開したという。

場所は、 静安寺から万航渡路を北上した康家橋付近。1990年以前は当時の建物が残っていたが、 現在はとりこわされ学校の敷地となっている。また近くの愚園路のなかほどに汪兆銘の邸宅もあった。

藍衣社丁黙邨と李士群
【藍衣社とジェスフィールド七六号の暗闘】
日本軍が南京を占領した前後から上海での抗日テロは激しさを増していた。なかでも活 発な活動を行っていたのが、戴笠の指揮する藍衣社と陳果夫・立夫兄弟が組織したCC団であった。これらはいずれも蒋介石直属の特務機関であり、目的のためには手段を選ばないその残虐な手口は、日本人ばかりか一般民衆をも恐怖の底に陥れていた。

こうした抗日テロの温床となったのは、重慶遷都後も租界に残っていた国民党の行政機関や団体であった。しかし、さすがの日本軍も列強の領土である租界に土足で入り込むことは許されない。そのため上海を舞台にした抗日テロはこれを取り締まろうとする日本軍をあざ笑うかのように激化の一途をたどっていた。

だが、日本側としてもただ手をこまねいているわけにはいかない。そこで組織されたのが「対重慶特工総部」、通称ジェスフィールド七六号であった。責任者にすえられたのは、元重慶側特務のベテラン工作員丁黙邨と李士群。国民党側から寝返った二人は「眼には眼を歯には歯を、中国人テロには中国人があたるのが効果的」と自ら対重慶テロ工作プランを日本側に申し出て採用されたのである。

かくして血で血を洗う悽惨なテロ合戦が開始された。やがて両者の工作員による死闘が白昼堂々、街頭で繰り広げられ、魔都上海は以前にもまして暴力と暗殺が横行する修羅の巷と化していったのである。
戴笠
藍衣社のボス・戴笠
【美貌の女スパイ蘋如】
支那事変当時、上海を舞台に活躍した美貌の女スパイがいた。上海高等法院首席検察官鄭鉞の娘で、日本人を母に持つ鄭蘋如である。

蘋如がスパイの道に足を踏み入れたのは十七歳の時、天性の美貌と頭の回転の速さが藍衣社の特務機関員に見込まれたのがきっかけという。 最初の仕事は、東亜同文書院に勤務する近衛文隆(近衛文麻呂首相の長男)を色じかけで落とすことだった。これは意外なほどあっさり成功し、その顛末は当時の上海でも醜聞として取り上げられた。

だが、蘋如の名を高めたのは、元C・C団の責任者でのちに汪兆銘側に寝返ったジェスフィールド七六号の頭目丁黙邨に対する、まさにスパイ映画さながらの工作であった。

一九三九年の冬のことである。その日、蘋如はつきあいはじめたばかりの丁黙邨と一緒に上海の目抜き通りである静安寺路を歩いていた。クリスマスプレゼントをねだる蘋如は甘えるように丁黙邨の腕を引いて、近くの高級毛皮専門店に入ろうとする。押しきられるように店に入ろうとした丁黙邨は、その瞬間ただならぬ気配を察知した。見ると店の入口には何食わぬ顔をした男が二人腕組みをして立っている。

「ワナだ!」。男たちが刺客であることを見破った丁黙邨は、何食わぬ顔で店へ入ると突然、蘋如を突き飛ばし、もうひとつの出口から脱兎のごとく逃走した。不意をつかれた二人の刺客は、車に乗って逃げる丁黙邨の背後から銃を乱射したが、夕暮れの雑踏のなかでついにその姿を見失ってしまったーー。

その後、蘋如はジェスフィールド七六号の手によって捕らえられ、銃殺刑を宣告された。死刑執行当日、引き立てられた上海郊外の刑場で、「何か言い残すことはないか」と死刑執行人に問いかけられた蘋如は、かぼそい声で一言「顔だけは傷つけないで」と答えたと伝えられている。
鄭蘋茹
丁黙邨を暗殺しようとした鄭蘋茹

写真資料
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