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宋教仁墓

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宋教仁墓
宋教仁墓

宋教仁は1882年、湖南桃源県に生まれた。22歳の時、黄興らと革命団体興中会を創立。長沙で 蜂起をはかったが失敗し、日本へと亡命した。日本では法政大学や早稲田大学で学ぶ一方、 中国同盟会の成立にも関わり、1905年、その湖南分会副会長に選ばれた。その後、中国東北地方へわたり、 同盟会遼東支部の設立に尽力。またその間、『間島問題』を著わし、日本の同地域への侵略意図を暴露したこと もある。辛亥革命後は、南京臨時政府の法制院総裁となったが、実権が袁世凱に移るやかつての同盟会を 中心に小政党を糾合し、国民党を創設。1912年に行われた中国初の国会選挙では、圧倒的な議席を獲得 した。だが、1913年3月、袁世凱がさしむけた刺客によって上海駅頭で暗殺された。まだ31歳の若さ だった。墓は円形をなしており、上部には鷲の像が飾られている。市内北部の閘北公園内。

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宋教仁暗殺現場
辛亥革命の指導者・宋教仁が暗殺された場所。宋教仁は1913年、上海駅頭で袁世凱がさしむけた刺客によって 暗殺された。今の上海北駅。

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