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八路軍総司令部旧址

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支那事変中、八路軍は神出鬼没のゲリラ戦術で日本軍の支配地域をおびやかした。ここは、その総司令部跡で、山西東部を南北に走る太行山脈の奥深い山中にある。日本軍は何度も大軍を差し向けて、その司令部を叩こうとしたが、結局探し出せなかったという。司令部跡の ひとつ王家峪旧址は、両側を山で挟まれた険しい渓谷にあり、朱徳旧居をはじめ3棟の建物が 現存している。近くには朱徳が植えたといわれるポプラの大木があり、その枝の折れ口が ちょうど紅軍の星の形に見えることから、村人は今でも「朱徳のポプラ」と呼び親しんで いるという。もうひとつの司令部跡である磚壁村旧址は、王家峪の東方10キロにあり、 こちらも前方は深い渓谷、背後はそそり立つ山という険しい山中にある。 1940年に発動された百団大戦は、ここで指揮されたといわれる。現在、王家峪に 八路軍総部旧址記念館が開設されており、館内には支那事変に参加した農民のエピソードをはじめ、 当時の人民戦争に関する資料が多数展示されている。武郷県の東約45キロ。武郷県は太原の 南約100キロ のところにある。

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