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徑県新四軍軍部旧跡記念館

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紅軍主力が長征に出発した後も、華南に残ってゲリラ戦を続けていた紅軍の一部は、第2次国共合作成立後、 国民党軍に組み込まれ、新編第4軍と呼ばれることになった。新四軍は、華中深く侵入した日本軍の背後を おびやかすなど、抗日闘争にも大きな活躍をした。ここは、その新四軍の本部跡に建てられた歴史記念館で、 付近には参謀本部、政治部、大ホール、兵器工場、葉挺旧居、葉挺橋、中共中央東南局などの旧跡が 散在している。また1941年1月、国民党の命令によって移動中の新四軍部隊約9000人を 8万人あまりの国民党軍が突然、急襲、軍長の葉挺を捕え、副軍長の項英を殺し、兵士8000人を 虐殺した皖南事件のさい、新四軍の一部が国民党の包囲網を突破した戦跡(章家渡)も残っている。 安徽南部、徑県の西方25キロの雲嶺山にある。

 

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