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ノモンハン事件跡

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1939年5月から9月にかけて満州国とモンゴル人民共和国との国境地帯で戦われた戦争。 日本では一般にこれを「ノモンハン事件」と称しているが、モンゴルでは、戦場がハルハ河付近だったことから、 「ハルハ河戦争」と呼んでいる。当時、満州国と日本は、モンゴルと満州国との国境線をこのハルハ河と決めていた。ところが、モンゴル側はハルハ河から満州国側に入った地点を国境線とみなしており(これは歴史的にみてモンゴル側の主張が正しかったという説がある)、5月12日、 突然越境して陣地を構築し始めた。これを迎え撃つべく関東軍と満州国軍が出動、 ここに数カ月にわたる悲惨な戦いの幕が切って落とされたのである。モンゴル軍はソ連軍の支援を得て、 戦車や飛行機を含む圧倒的な機甲軍団を投入。 対する日本側は、貧弱な装備しか持たず、 また辻政信参謀の作戦ミスもあって、ソ連軍の重戦車に対して火炎ビンなどほとんど素手同然で 立ち向かわねばならなかった。犠牲者の増大を懸念した陸軍中央は、関東軍に対して再三、 戦闘中止を要請するが、辻政信少佐は「北辺の些事は関東軍に依頼して安心されたし」と返電、 なおも無謀な戦いを続行しようとした。だが、同年9月ナチスドイツが、突如、ポーランドへ侵攻し、 第2次世界大戦が始まると日ソとももはやノモンハンのような局地戦争にかかずらっている余裕はなくなり、 やがてモスクワで停戦協定が結ば れた。ここに日本側犠牲者の数1万8000名ともいわれる ノモンハン事件がようやく終結したのである。中国側に最も近い都市はハイラルの西南、約150キロほどの新巴尓虎左旗。

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ノモンハンの戦い
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