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満映撮影所

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満州映画協会(満映)の撮影所跡。満映は満州国内における国策宣伝と文化工作を目的としてつくられた民間の映画会社で、正式に発足したのは1937年。以後、抗日武装勢力に対する武力討伐と並び、「満州」統一政策を遂行する上で欠かせない重要な役割を果たした。
理事長を勤めたのは、元軍人の甘粕正彦。甘粕といえば関東大震災時におけるアナーキスト大杉栄殺害犯として悪名ばかり高いが、経営者としてはかなり有能だったらしく、李香蘭をはじめ「満州国」時代を風靡した大スターもここから誕生した。ちなみに当時、満州国の支配者は昼間は関東軍だが、夜は甘粕だという冗談とも本気ともつかぬ戯れ言が人々の間で言い交わされていたという。
だが、1945年8月、日本が無条件降伏すると甘粕は青酸カリをあおいで自殺。ここに満映の短い歴史は終りを告げた。また自殺をはかった理事長室の黒板にはこんな辞世の句が書いてあった。「大ばくち、もともこもなく、すってんてん」。現在は、長春電影制片廠となっている。市の東南、南湖公園の北。

 

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満映
満映

 

甘粕正彦
甘粕正彦

【甘粕正彦】
軍人。満映理事長。東京大震災の際、無政府主義者大杉栄を殺害し、懲役10年の刑を宣告される。しかし3年後に釈放され、その後、フランスへと渡った。いったん歴史の表舞台から消えたかに見えたが、事件のほとぼりが冷めると、今度は中国に姿を現わした。甘粕はここで、軍が表立って動けない仕事ーいわゆる謀略活動に従事するのである。満州事変勃発の際、吉林やハルピンで爆弾テロを起こし、戦線の拡大工作を行ったり、溥儀の天津脱出工作にかかわったりと、まさに神出鬼没の活躍ぶりを見せた甘粕は、満州国建国後、その功によって満州映画協会(通称、満映)の理事長の座におさまる。そこで国策映画づくりに励んでいたが、1945年、日本が戦争に負けると8月20日、理事長室で青酸カリを仰いで自殺した。黒板には、こんな辞世の句が書かれていたという。「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

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