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溥儀旧居(満州国終焉の地)

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ソ連参戦後の1945年8月、溥儀とその側近は関東軍の命令で、満鮮国境の大栗子に避難した。 新しい「皇宮」となったのは大栗子鉱業所所長の自宅だった建物。そこは当時、市内でもっとも立派な造りの家だったが、部屋は全部あわせても6部屋ほどしかなく、皇后や侍従などを収容するといっぱいになったという。しかも壁の薄い日本式の家屋だったため、隣同士たがいに音が筒抜けで一日中がやがやうるさかったと後に溥儀が自伝のなかで回想している。その後、ラジオなどで日本敗戦を知った溥儀らは、満州国の解消を決定。近くの大栗子鉱業所社員食堂に廷臣、 大臣らを集めて正式に満州国解散を宣言した。場所は大栗子市内。大栗子は通化から渾江をへてさらに奥地の北朝鮮との国境地帯にある。

 

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溥儀らが利用した大栗子鉱業所食堂
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伪满皇帝溥仪行宫
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