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故宮博物院

明清2代の王朝にわたる宮殿跡で、辛亥革命以前は紫禁城と呼ばれた。明の永楽帝によって創建され、 清朝最後の皇帝溥儀まで、合計24人の皇帝が居住した。外廷と内廷にわかれ、外廷はもっぱら公的な行事に 使用された。また内廷は皇帝とその家族が日常生活を営んだ場所。1911年の清朝滅亡後、 内廷には廃帝溥儀とその家族らが住んでいたが、1924年、馮玉祥によって退去させられた。 主な見どころは次のとおり。

 

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太和殿

外廷の中心にある。皇帝の即位をはじめ国家的な重要儀式を行う場所。1908年、幼い溥儀が皇帝となったの もここである。

坤寧宮

内廷の一番奥にある。明代には皇后の寝室であったが、清代になると神を祭り、皇帝が結婚式を行う場所 となった。現在は、1911年に行われた溥儀の結婚式の時のままに保存されている。

養心殿

乾清宮の西南にある。以前は、皇帝の書斎であったが、雍正帝の時から皇帝の寝室として使われ、 また日常の政務をとるところとなった。清末には、西太后が幼帝の背後にあって政治をとる、 いわゆる「垂簾聴政」を行った部屋でもある。現在、「垂簾聴政」当時の状態が復元展示されている。

西六宮

内廷の西側にある6つの小宮殿で、皇帝の后妃たちが住んでいた。そのひとつ儲秀宮は、 かつて西太后が住んでいたところで、彼女はそのため「西」太后と呼ばれるようになったといわれる。 現在、西太后が50歳の誕生日を迎えた時の様子が再現されている。

珍妃井

1898年の戊戌政変のさい西太后の恨みを買って、幽閉されていた珍妃は、1900年に8ヵ国連合軍が北京に迫ると西安への脱出をはかった西太后の命令で、この井戸に投げ込まれ、溺死させられた。

養性斎

清末、溥儀の英語教師をつとめたスコットランド人で「紫禁城の黄昏」を書いた レジナルド・ジョンストンが住んでいた部屋。

【場所】市内中心部。天安門広場の北。

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