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徐州会戦跡

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南京攻略後の1938年4月、大本営は蒋介石直系軍の湯恩伯軍をはじめ多くの中国軍が 徐州方面に集結しているのをみて、徐州作戦を発令した。日本軍の編成は、 寺内寿一司令官率いる北支那方面軍と、畑俊六司令官率いる中支那派遣軍(南京虐殺の責任を 問われ解任された松井石根司令官の中支那方面軍に代わり新たに新設された)を主力とし、 それぞれ北支那方面軍は華北方面から徐州をめざし、また中支那派遣軍は南京方面から 北上するというかたちをとった。前哨戦となった台児庄の戦闘では、それまで連戦連勝だった 日本軍が初めて中国軍によって撤退させられるという事態も発生したが、結局、5月19日、 日本軍の手によって徐州は陥落した。ここに華北占領区と華中占領区が結ばれ、 いわゆる南北の打通が実現した。しかし、中国軍は徐州攻略直前、小部隊に分かれて 包囲網をかいくぐり脱出。当初、日本側が企図した包囲殱滅戦には失敗した。 徐州攻略作戦の主な戦跡は次のとおり。

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