太平天国関連史跡

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太平天国関連史跡
江蘇

太平天国歴史博物館

南京
太平天国歴史博物館

太平天国に関する資料を集めた歴史博物館。天王洪秀全の胸像をはじめ、洪秀全の玉衣や玉璽、また太平天国軍が使用した大砲など当時の遺品や資料を数多く展示している。なお、当所は清朝なか ばまで「瞻園」と呼ばれていた庭園で、太平天国時代、東王楊秀清の宮殿(東王府)として使われていた。中華門の北、中華路に近い 瞻園路128号にある。2、4、33路バスで三山街下車。

 

太平天国天王府遺址

南京
洪秀全

太平天国の王宮(天王府)跡。1853年、南京に入城した太平天国軍は、元清朝の両江総督衙門を拡張・整備し、そこを天王府 と定めた。当時の記録によれば天王府は、外城、内城の二重の城壁をもつ壮大な宮殿で、なかでも内城は、金龍殿とよばれる 壮麗な宮殿を中心に数々の美しい庭園がめぐらされ、そのありさまはまさに「地上天国」を思わせたという。だが、 天京陥落の際、清朝軍による徹底的な破壊を受け、当時の建物はほとんど残されておらず、わずかに残るのは、 当時天王洪秀全が、諸王をあつめて会議を開いたと伝えられる石舫(石造りの船)や、金竜殿および西花園などいくつかの 建物と庭園のみである。市内新街口の東北、長江路292号にある。

 

 

 

堂子街太平天国壁画

南京
太平天国時代の壁画

市内西南部、莫愁湖の手前の堂子街に、太平天国時代、東王楊秀成の役所だった建物があり、その壁の一部に当時の壁画が残って いる。壁画は全部で18幅あり、そのうち16幅が比較的保存がよく、細部まで見ることができる。なかでも「防江望楼」と 題された絵は、天京の防水事業と都市の繁栄ぶりが描かれており、歴史資料としても価値が高い。なお16幅の壁画のうち 8幅は淡彩の水墨画だが、あとは8幅は鮮やかな彩色画で、いずれも山水を題材にしたものである。市内西南部。莫愁湖の 手前、漢中門の堂子街74号にある。

 

太平天国忠王府

蘇州
忠王の宮殿内部

太平天国末期に活躍した忠王李秀成の王府跡。1860年6月、蘇州を占領した忠王は、江蘇南部を「蘇福省」と称し、 ここを省都とした。外国列強が、清朝に荷担するきっかけとなった2度の上海進攻は、ここを拠点におこなわれた。旧址には、 龍鳳の彫刻や壁画など当時の貴重な芸術作品が残っている。市内婁門内の拙政園にある。

 

太平天国護王府

常州

護王陳坤書の王府跡。陳坤書は1860年、太平軍を率いて常州に進駐、ここを王府とし、忠王李秀成らと共同で 天京防衛の戦いをくりひろげた。だが、反撃に転じた清朝軍と外国列強軍によって1864年殺害 された。市内局前街の毛家弄。局前街は、駅を背に新豊街をまっすぐ行って右へ入った路地。市内局前街の毛家弄の入口にある。北山廟にある。

 

太平天国戴王府

金壇県

戴王黄呈忠の王府跡。黄呈忠は、もと侍王李世賢下の武将だったが、のちに戦功により戴王に封ぜられた人物。建物の梁 に太平天国独特の竜鳳の装飾が残っている。江蘇金壇県の県直街の東側にある。

 

太平天国輔王府

宜興県

輔王楊輔清の王府跡。東王楊秀成の弟である楊輔清は、太平天国軍を率いて宜興県を攻略した際、ここに自らの王府を 設置した。建物には、当時の農民を描いた壁画が 残っている。江蘇宜興県の県城和平街にある。

 

上海

上海小刀会起義旧址

点春堂

太平天国軍と清朝軍が熾烈な戦いを繰り広げていた1853年9月、上海では劉麗川を指導者とする秘密結社小刀会が、 太平天国に呼応して反乱を起こした。小刀会は、上海県城全域を占領下に置き、さらに租界をもおびやかすまでに勢力を伸ばしたが、 肝心の太平天国との連携に失敗。孤立無援のなか、やがて清軍の反撃を受けて壊滅した。ここは、その小刀会の総司令部が おかれた場所で、豫園の点春堂にある。

 

太平天国烈士墓

ウォード

忠王李秀成率いる太平天国軍は1862年1月、2回目の上海攻撃を行った。これに対 しアメリカ人ウォード率いる常勝軍と 清軍は共同して出兵。激戦の末、市街中心部にまで 迫ってきた太平軍を撃退した。ここには、その時の戦闘で犠牲になった 太平軍の将兵が葬られている 。なお、この年の6月から7月にかけて、高杉晋作らが上海に滞在しており、太平軍と清軍 との戦闘を眺めていたことがその日記に記されている。川沙県高橋鎮の西北1、5キロ の屯糧巷にある。

 

 

 

 

 

 

 

浙江

太平天国侍王府

金華

侍王李世賢の王府跡。安徽・江西両省から浙江へ軍を進めた李世賢は1861年春、金華市を攻略し、ここに王府を 置いた。建物は、もと科挙の試験場だったところを改修したもの。当時の壁画が残っており、戦闘の様子や住民の生活、 さらに奇鳥怪獣などが描かれている。なお侍王李世賢は、忠王李秀成の従兄弟である。浙江金華市の市街にある。

 

太平天国 金銭会起義遺址

平陽県

太平天国の乱に乗じて1861年に蜂起した金銭会の起義跡。金銭会は埠頭労働者趙起を首領とする秘密結社で、 一時は温州、福鼎あたりまで勢力を拡大したが、その翌 年、清朝軍によって鎮圧された。浙江平陽県の銭倉の北山廟にある。

 

安徽

太平天国戦場跡 三河集

合肥

1858年1月、陳玉成と李秀成は清軍の精鋭約6000人を当所で包囲、全滅させた 。「三河の大勝利」と呼ばれる 有名な戦役のひとつ。合肥の南方、巣湖の近く。

 

太平軍樅陽会議旧址

樅陽
鎮圧軍の指導者・曾国藩

1858年5月、反撃に出た清軍は各地で太平天国軍を敗走させ、天京へと迫った。ここは、その危急存亡の秋にあたり、 陳玉成、李秀成、李世賢ら太平天国末期の指導者が 集まり、軍事会議を開いた場所。旧址はもと康煕帝時代に創建された寺院で 「望竜庵」 と呼ばれている。県城北方、金鶏山の山麓の月月湖畔にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太平天国壁画

績渓県
太平天国時代の壁画

太平天国時代の壁画が残っている。「攻城」「進軍」「怪奇小説」「俗謡」「題字」などをテーマ にした7つの壁画で、 なかでも「攻城勝利図」は、1860年に太平 天国軍が旌徳県の県城を攻撃した時の模様を描いたものとされる。芸術的 に素晴しいばかりでなく、きわめて貴重な歴史資料でもある。安徽績渓県の北、旺川村の曹氏の支 祠(九思堂)にある。

 

張楽行故居

渦陽県

捻軍の首領張楽行の生家。捻軍は太平天国時代、安徽から河南、山東にかけて蜂起した農民反乱軍で、 のちに太平天国軍と連携しながら反清闘争を展開した。張楽行はその 盟主として「大漢国」の王、「大漢明命王」を 自称した。渦陽県の県城西北の老張家村にある。

 

太平天国 捻軍起義旧址

それまで各地でバラバラに活動していた捻軍の指導者数百名が1855年8月、当所に 集まり、大同団結を誓った 場所(雉河会議ともいう)。かれらは張楽行を盟主に推し、「 大漢国」の樹立を宣言。「共に妖韃(清朝)を誅し」「 共に基業を建てる」ことを決定した。旧址 内には捻軍資料陳列室も併設されている。渦陽県の県城にある。

 

河南
鄭州

陳玉成墓

鄭州

太平天国末期に活躍した英王陳玉成の墓。陳玉成は1836年、金田村に近い大黎郷の貧しい農家に生まれ た。14歳で太平天国に参加した後は、もちまえの武勇と指導力により21歳で一軍の将となり、 さらに各地で清軍を破った功により英王に封じられた。李秀成とともに太平天国末期の名将軍とたたえられたが、 1862年、同盟を結んでいた捻軍の首領苗沛霖の裏切りにあって捕えられ、北京への護送途中、 ここで殺害された。遺体が埋められた場所に陳玉成を記念した八角形のあずまやが立っている。鄭州の東北方、 延津県の西教場にある。

 

湖南
長沙

太平天国 天心閣

長沙
太平天国の礼拝堂

1852年、太平軍が長沙を攻略したさい、西王蕭朝貴が戦死した場所。ちなみに天心 閣は辛亥革命前夜、 中国同盟会の分会が置かれた場所であり、また1930年の共産党による 長沙暴動のさい、彭徳懐が指揮部を設けたところ としても有名。旧城の東南隅にある建物 で、周囲は天心公園となっている。

 

洪秀全生家

花県
洪秀全の生家

太平天国の指導者洪秀全が幼少時代を過ごした旧居。洪秀全は1814年、この近くの福源水村で生まれ、まもなく当所 に移ってきたという。故居は泥づくりの小さな建物で、なかには木製のベッドと机がひとつ置かれているだけの粗末 なつくり。洪秀全は少年時代、ここで科挙の勉強にはげんでいたが、病床で見た幻想をきっかけにキリスト教に 入信。29歳の時、拝上帝会を結成し、同郷の馮雲山らとともに広西方面へ布教に出た。そのさい、布教の テキストとした「原道救世歌」「原道覚世訓」などはここで書かれたといわれる。またとなりの建物は 洪一族の祖廟だったところで、現在、洪秀全故居紀念館となっている。広州市の北方、花県官禄坿村の入口にある。 【関連史跡】近くに干王洪仁干の故居がある。

洪秀全教学私塾旧址

洪秀全が村の子弟に学問を教えていた私塾跡。キリスト教信者となった洪秀全は、塾に祀ってあった孔子の位牌を片づけた ことをとがめられ、塾を追放されたと伝えられている。現在は小学校の 校舎となっている。花県新華郷蓮華塘村にある。

 

広西壮族自治区

広西壮族自治区博物館

南寧

「太平天国革命在広西歴史陳列」が常設されている。太平天国軍が金田村で行った武装蜂起とその後の広西における闘争、 石達開の広西への帰還、広西人民の反清朝闘争の歴史などについて展示されている。市内71路にある。

 

大成国王府遺址

桂平県

1855年4月、太平天国の戦いに呼応して秘密結社天地会の首領陳開と李文茂が4万 人あまりの民衆を率いて広東で蜂起 した。陳開らは潯江に1000隻あまりの船を浮かべ て広西へ進入。潯州(現桂平県)を占領し、大成国を建国した。だが 61年8月、清 軍によって潯州は奪還され、陳開は処刑された。ここはその大成国の王府跡で、桂平県の中心小学にある。

 

陳玉成生家

藤県

太平天国末期の将軍、英王陳玉成の生家。金田村に近い藤県の大黎郷の山中にある。

 

永安州城遺址

蒙山県
永安州城遺址

金田蜂起後、潯江と黔江の流域を転戦していた太平天国軍は、1851年9月25日、 永安州(現在の蒙山県)を 攻略し、ここに最初の王府を置いた。滞在したのはわずか半年であったが、聖庫制(一種の共産主義制度)を制定し、 東王、南王、北王、西王、 翼王ら5人の王を封じるなど、基本的な国家としての体裁を整えたところとして歴史的にも 重要な場所とされる。王府はもとの役所跡で、1949年の解放後、庭の井戸から処刑された知州の骨や捕虜を縛った 鎖などが発見された。また、太平軍が攻め落とした城壁や清軍を迎え撃った東西の砲台、十里長城、西浮嶺地下洞 など多くの史跡が現存する。近くに記念館がある。 南寧の東北方、桂平県の北にある。永安州は現在の蒙山県。蒙山県は 金田の北方、柳州の東方。

 

太平天国戦場跡 象鼻山

桂林

金田村から北上の途についた太平天国軍は1852年4月、当所に砲台を築いて桂林を攻略しよう とした。しかし、 桂林の守りは堅く、結局太平軍は攻略をあきらめ再度北上。全州方面へと向かった。象鼻山は、市の南端、桃花江が 漓江に注ぐところにある。

 

広西壮族自治区博物館

南寧

「太平天国革命在広西歴史陳列」が常設されている。太平天国軍が金田村で行った武装蜂起とその後の広西における闘争、 石達開の広西への帰還、広西人民の反清朝闘争の歴史などについて展示されている。市内71路にある。


日中戦争は誰が引き起こしたのか?

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