0

中国共産党第一次全国代表大会会址

sponsored ads

スポンサーアド

五四運動後、各地に誕生した中国の共産主義者グループは、1921年7月、その代表を上海に送り込み、全国的な統一組織 である中国共産党を正式に発足させた。ここはその代表大会が開かれた場所で、当時のフランス租界にある。出席したのは コミンテルンのマーリンはじめ張国熹、董必武、李漢俊、周仏海中国内外の共産主義者12名。そのなかには湖南代表 として若き日の毛沢東の姿もあった。会議では、まず各地の活動状況をそれぞれ報告した後、全会一致で中国共産党の 設立を決議。さらに今後の活動方針について話し合った。だが、4日目に密偵に探知されたため討議を一時中断、 メンバーはただちに裏口から逃走した。その後、会議は浙江嘉興県に移され、再び討議が続けられた。旧址内は、 のみかけの茶碗がそのままテーブルの上に置かれており、当時の様子が生々しく再現されている。また中国共産党誕生の 歴史的背景などに関する資料も数多く展示されている。興業路76号。淮海公園と復興公園のちょうど真ん中に位置し、 興業路と黄陂南路の公差点にある。

sponsored ads

 

創設期の中国共産党員
創設期の中国共産党員
創設期の中国共産党員
創設期の中国共産党員

【コミンテルン】
ロシア革命後の一九一九年、各国におけるプロレタリアート(労働者階級)の革命運動を支援し、社会主義政権の樹立をはかる目的で創設された共産主義者の国際組織。モスクワに本部が置かれ、各国共産党はその支部という形をとった。一九二一年に中国共産党が結成されたのもコミンテルンから派遣されたヴォイチンスキーの働きかけによるものであった。だが、そもそも人民の大部分を農民が占める中国に、都市労働者による革命を説くマルクス・レーニン主義の公式をそのまま当てはめることは現実的ではなかった。そのため、中国共産党内部には農民を主体にすべしと主張する毛沢東派とあくまで教条主義に固執するモスクワ派との間に革命路線をめぐって深刻な対立がもたらされることになる。その対立は一九四三年にコミンテルンが解散されるまで続いた。

sponsored ads
sponsored ads

中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Optionally add an image (JPEG only)