李大釗故居

李大釗
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中国共産党創設者の一人、李大釗の生家。李大釗は1889年の生まれ。1913年、 天津の北洋法政専門学校卒業後、日本に留学。早稲田大学政治本科で学んだ。日本留学中、マルクスレーニン主義に触れ、 帰国後『庶民の勝利』『ボルシェビズムの勝利』などの論文を執筆し、共産主義の中国への普及につとめた。1918年、 北京大学の経済学教授兼図書館主任に就任。当時、北京大学の図書館員として働いていた毛沢東にも思想的な影響を 与えたといわれる。1920年4月、コミンテルンのヴォイチンスキーの奨めにより、上海の陳独秀とともに中国共産党を 結成。以後、中国共産党の最高幹部のひとりとして、また中国におけるマルクス主義の第一人者として北方区での工作を 担当した。だが、1927年4月、全国的な「赤狩り」の嵐が吹き荒れるなか、張作霖政府によって処刑さ れた。故居は河北省楽亭県の県城東南の大黒村にあり、河北東部の典型的な民家のつくり。記念館が併設され、 写真や遺稿、遺品などが展示されている。

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周恩来鄧穎超紀念館

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周恩来が15歳から19歳まで学んだ母校南開中学の建物跡に設置された歴史資料館。館内には、学生時代の作文や演説稿、 卒業証書をはじめ、のちに彼が主筆をつとめた「天津学生連合会報」や獄中闘争を記した「警庁拘留記」などが展示されており、 若き日の周恩来の足跡をしのぶことができる。南開区南開四馬路。12路バスで五馬路下車。【関連史跡】なお日本留学から帰国した 周恩来が入学した南開大学には、「我是愛南開的」と書かれた記念碑と周恩来記念室がある。

周恩来と鄧穎超
周恩来と鄧穎超
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天津覚悟社旧址

五四運動後の1919年9月、周恩来が中心となって組織した学生運動団体・覚悟社が置かれた場所。覚悟社は、 中国共産党創設以前に初歩的な共産主義思想を広めた革命団体のひとつで、参加者のなかにはのちに周恩来の妻となる 鄧頴超もいた。木造の小さな平屋で、当時、メンバーはここで機関誌「覚悟」を編集していた。河北区宙緯路三戒里4号。

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長辛店二・七記念館

1923年2月27日、京漢線沿いの鉄道労働者らが、労働組合公認を要求してストライキに立ち上がった。その際、 直隷軍閥

呉佩孚
呉佩孚

は、軍隊を差し向けてこれを弾圧、長辛店の労働者を含む死者40数人、負傷者200人を出す騒ぎと なった。ここは、その二・七虐殺事件を記念して建てられた歴史博物館で、事件に関する資料や犠牲者の遺品などが展示 してある。北京市西南郊外、豊台区長辛駅の西側の公園内にある。京漢線の列車に乗り、長辛店下車。

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陶然亭公園

パリ在住の中国人留学生が 発行した政治改革を訴えるパンフレット
パリ在住の中国人留学生が
発行した政治改革を訴えるパンフレット

永定門西街にある陶然亭公園は1920年、周恩来と李大釗の呼びかけによって当時の5つの急進的な政治団体が集まり、 『連合改造の宣言』を発表した場所として知られている。これは、翌年の中国共産党創設を準備する上で大きなステップと なった出来事であった。またこの陶然亭公園は戊戌維新のさい、康有為、梁啓超、譚嗣同らが変法の方策を練った場所でも ある。前門大街を南へ下って、永定門西街を突き当たったところにある。

 

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三一八烈士墓

段祺瑞
段祺瑞

1926年3月18日、北京市内で日本の内政干渉に抗議する学生らがデモを行った際、時の権力者段祺瑞がこれを弾圧、 47人が虐殺され、200名以上が負傷するという事件がおこった。ここは、その三・一八事件で犠牲になった47名の遺体を葬った 陵園で、市内海淀区の円明園の西南隅「九州清宴」遺址にある。犠牲になった学生のなかには魯迅の教え子もおり、 魯迅は『花なきバラ』という文章のなかで「これはひとつの事件の結末ではない、発端なのだ」と怒りを表現している。 墓碑は高さ9メートル、六角形をした大理石で、正面には「三一八烈士公墓」の7字が刻まれている。 331路バス終点下車。または365路バスで円明園下車。

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北京魯迅旧居(魯迅博物館)

魯迅が北京時代に住んだ家。魯迅は1924年5月に越してきてから、三・一八事件に連座して北京を追われるまで 2年間あまりをこの家ですごした。伝統的な四合院のつくりで、北側の小さな一室が魯迅の書斎兼寝室だったところ。中庭には、 魯迅が手ずから植えた3本のライラックの木があり、いまも春になるとかぐわしい香りがあたりに漂うという。 故居の東側に魯迅博物館が併設されており、2万点以上にのぼる関連資料の他、魯迅の蔵書1万3000冊余りが 納められている。市内西城区阜成門内西三条胡同21号にある。

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李大釗墓

中国共産党の創始者の一人、李大釗の墓。1927年4月、奉天軍閥張作霖が支配する北京は、 熾烈な「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた。こうした中、李大釗ら北京在住の共産党員は、東交民巷(天安門広場の東隣) にあるソ連大使館に身を隠していたが、強引に踏み込んだ張作霖側の官憲によって逮捕され、同月28日、 西交民巷(天安門広場の西隣)の監獄内で絞首刑に処された。処刑後、遺体は宣武門外の妙光閣浙寺に置かれていたが1933年、 共産党組織の奔走によって秘密裡に当地に埋葬された。墓前には李大釗の塑像が置かれ、 背後には鄧小平の揮亳になる記念碑が立っている。併設の陳列館には李大釗に関する資料が展示されている。北京市内、頤和園の西方、 海淀区の万安公墓内。333路のバスで万安公墓下車。

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北京大学紅楼

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北京大学の旧校舎のひとつ。赤レンガ造りのため通称紅楼とも呼ばれる。辛亥革命後、中国共産党の創設者・李大釗が ここで図書館主任をつとめていた。また同じころ毛沢東も李大釗の下で働いていたことがあり、現在「毛主席在校工作処」 および「李大釗記念堂」として一般公開されている。ちなみに1919年の五四運動の際、天安門へむかう学生たちが デモ行進を開始したのはここの北側広場で、現在、民主広場と称されている。天安門の東北、中国美術館の近く。 市内東城区五四大街29号。

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広東革命歴史博物館

辛亥革命から第1次国共合作の時期を中心に、広東における革命運動の歴史を紹介した歴史博物館。 労働運動や農民運動で使用された旗や腕章をはじめ、中華民国開国記念貨幣、黄埔軍官学校卒業証書、 広州蜂起のスローガンなどが展示されている。なお、ここは清朝末期、広東の地方議会である「諮議局」として 使われた建物で、第1次国共合作の時期には、国民党中央本部として使用された。市内東部、中山三路の広州起義烈士陵園内。

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