二・七記念塔

呉佩孚
呉佩孚

1923年2月1日、北京と武漢を結ぶ京漢鉄道沿線の労働者が、鄭州に集まり労働組合の承認をもとめ、 大規模なゼネストを行なった。だが、帝国主義列強に後押しされた軍閥呉佩孚は2月7日、これを武力で弾圧。 指導者の共産党員林祥謙や施洋をはじめ、鄭州分工会の責任者40名以上が殺害され負傷者200人あまりを 出す惨事となった。ここはその二・七大ストライキを記念した塔で、9層からなる純中国様式。当時、 労働者たちが集会を行った普楽園の跡地に建てられている。内部は歴史陳列館となっていて、 二・七事件に関する文献や当時の写真、遺留品などが展示してある。鄭州駅に降り立つと、まっさきに 目に入るこの塔は現在、鄭州のシンボルとなっている。河南省鄭州駅東側の二七広場にある。【関連史跡】駅のすぐ近く、 銭塘路に二七記念堂がある。

 

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厦門大学魯迅紀念館

魯迅
魯迅

三・一八事件に連座して北京を追われた魯迅は、1926年9月からここ厦門大学で中国文学史の講義を担当 していた。だが、学校当局のやり方に反発し、辞表を提出。翌年1月には広州の中山大学へと移った。ここはその間、 魯迅が起居していた建物で、現在、魯迅記念館となっている。厦門市内南部厦門大学の集美楼にある。

 

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談判大楼旧址

労働者向け夜学校で使用された教科書
労働者向け夜学校で使用された教科書

安源鉱山におけるストライキの際、労使の代表が話し合いを行った場所。1922年9月中旬、労働者側の 全権代表李立三と劉少奇は、鉱山主側の代表と直談判を行い、労働者側の要求をのませることに成功した。建物は、 もともと炭鉱の事務所だったところで、ストライキ中は鉱山主側の戒厳司令部が置かれていた。向いの安源山に 安源路礦工人運動紀念館がある。萍郷市の安源鉱区の高山にある。

 

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安源労働運動記念館

中国共産党が結成された1921年の秋、毛沢東と劉少奇らは江西の安源鉱山にはいって、労働運動の組織化を始めた。 翌年9月、労働者たちは大規模なストライキを引き起こし、賃金の増額や労働組合の承認など多くの要求を勝ち取った。ここは、 その安源における歴史的なストライキ闘争を記念して建てられた記念館で、館内には当時の毛沢東や劉少奇らの足跡を示す文物や ストライキ闘争に参加した労働者たちの遺品などが数多く展示されている。古ぼけた遺品からは、当時の炭鉱労働の悲惨さとともに、 ストライキに立ち上がった労働者たちの高揚感が伝わってくるようだ。南昌の西南省境にある萍郷市の東方、安源鉱区安源山 のふもと。【関連史跡】記念館の向かい側には、当時、労使双方が交渉をおこなった「談判大楼旧址」がある。また 近くの半辺街には「安源労働者クラブ旧址」などがある。

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陳独秀墓

陳独秀
陳独秀

中国共産党の創設者、陳独秀の墓。陳独秀は1879年、懐寧(今の安慶市)の出身。清朝末期から革命活動に身を投じ、 辛亥革命後は北京大学の文学部長をつとめた。1915年に雑誌『新青年』を創刊し、マルクス主義を中国に紹介するかたわら 中国共産党の創設に奔走。1921年、上海で開催された中共第1回大会では総書記に選出された。その後、中国共産党の指導者 として活躍したが、1927年の蒋介石の反革命クーデターをきっかけに総書記の座を追われた。晩年は反毛沢東の立場をとり、 毛沢東の遊撃戦術を「遊んで撃たない」と批判するなどした。1942年、四川江津県で病没した。安慶市内北門外にある。

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瞿秋白記念館

瞿秋白の旧居。瞿秋白は、中国共産党総書記として革命を指導したこともある文学者。もとは一族の祖廟だった建物で、 瞿秋白は13歳のとき家族とともにここへ越してきた。北京のロシア語専門学校を卒業後、1920年、 ジャーナリストとしてモスクワに赴任。帰国後、中国共産党員として革命運動に参加した。1927年から陳独秀に代わり、 中共中央のトップの座にすわったが31年、王明らによって指導部を追われた。その後、上海で魯迅らとともに左翼作家連盟を創設、 文芸活動の面から革命闘争を推し進めた。のち江西ソビエト大学の学長としてソビエト区にはいったが、紅軍の長征後、 福建長汀県で国民党によって捕えられ、処刑された。館内には瞿秋白に関する遺品や資料の他、クレムリン宮殿で レーニンと会見している瞿秋白の油絵などが展示されている。常州市内延陵西路のつきあたり。

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周恩来祖居

周恩来の父方の実家。周恩来は、江蘇淮安の生まれだが、父方の実家はここ紹興にある。周恩来の本籍も またここにあり、周恩来自身「自分は紹興人である」との認識を持っていたと伝えられる。浙江省紹興市内東部の労働路にある。 労働路は、解放北路を南下して大善塔付近を東へのびる通り。

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紹興魯迅故居

文学を通して中国民衆の覚醒を促した文学者魯迅の生家。建物自体はそう立派なつくりではないが、 内部ににはいくつもの部屋が並び、また奥には離れ家や築山もあり、没落地主とはいえ当時の上流階級の暮らしぶりがしのばれる。 1881年にうまれた魯迅は、13歳になるまでここで過ごした。裏庭は、魯迅が幼いころよく遊んだという百草園。 なおこの家はのちに人手にわたることになったが、彼の作品『故郷』はその際、身辺整理のために帰郷した時の体験を もとにしたといわれる。故居のとなりは記念館で、文学と革命に捧げたその生涯が紹介されている。また記念館の 向かい側は、彼が少年時代に学んだ私塾、三昧書屋。机のひとつに「早」の一文字が彫られているが、 これは当時魯迅が遅刻したさい、自戒のために彫りつけたものと伝えられる。さらに同じ通りには、 魯迅の小説にも登場する居酒屋、咸亨酒店がある。市内東南部の魯迅路208号。

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嘉興中共一大会址

中国共産党第1次全国代表大会が開催された場所。1921年7月、上海で開かれた中国共産党第1次全国代表大会は途中、 密偵にかぎつけられため中断。議場をここ嘉興の南湖に浮かぶ船上に移して再開された。現在、南湖の湖心島に模造の 革命記念船が浮かべられ、船内も当時の様子がそのまま再現されている。また南湖の東北湖畔、児童公園のとなりに 南湖革命記念館があり、中国共産党創立大会に関する多くの文物資料が展示されている。浙江省嘉興市の南湖。南湖は、嘉興駅の裏側にある。

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大韓民国臨時政府旧址

日本の植民地統治時代、韓国人革命家らが上海に樹立した亡命政府跡。1919年4月10日、三・一独立運動で揺れる 朝鮮半島から上海に亡命してきた韓国人活動家30人は、李承晩を臨時大統領とする「大韓民国臨時政府」の樹立を宣言した。その具体的な活動内容については異論もあるが、いまの韓国政府によればパリ講和会議に代表団を送り、日本の植民地支配の取り消しを訴えるなどの活動を展開したという。 日本敗退後に生まれた韓国政府は、この亡命政府の流れをくむものとされている。馬当路306号。復興公園と淮海公園の間にある。 中共一大会址の近く。

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