古寧頭戦史館

konei人民解放戦争
台湾
金門島
古寧頭戦史館
1949年10月25日、人民解放軍は大陸を逃れた国民党軍を追って福建・アモイ沖2キロに浮かぶ金門島の古寧頭に上陸、一気に占領を試みた。これに対し、国民党軍は人民解放軍全員が上陸するのを待ってから奇襲攻撃を敢行、ほぼ2日間で撃退に成功した。ここはその古寧頭の戦いを記念して建てられた戦史館で、入り口付近には、この戦役に参戦した「金門の熊」ことM5A1型戦車が鎮座している。入館は無料。写真、パネル等が中心で戦利品として奪った武器等も展示されている。金門島北西部、「北山」のバス停より徒歩10分。ちなみにこの古寧頭の戦いには、元日本陸軍中将・根本博氏が深くかかわっているという。

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遼瀋戦役記念館

解放戦争の勝利を決定づけた三大戦役のひとつ、遼瀋戦役の歴史が紹介されている。日本敗退後、 人民解放軍は蒋介石の警告を無視していちはやく東北へ進駐。日本軍の武器をうばい、農村を中心に勢力をのばした。 その後、1948年9月、全面的な反攻が開始されると、林彪ひきいる東北野戦軍は、錦州を占領。 補給をたたれた東北駐屯の国民党軍は、まもなくせん滅された。満州国の遺産である重工業地帯を手に入れ、 また人民解放軍の質的および量的な強化をもたらしたこの遼瀋戦役は、のちに人民解放軍が全中国を解放するうえで 大きなステップとなる戦いであった。ちなみに同時期に進行していた長春包囲戦では、5ヶ月にもおよぶ共産党軍の兵糧攻めにより民間人をふくむ33万人もの餓死者が出たという。館内には、錦州攻撃のジオラマをはじめ、6000点あまりの資料が展示されている。 錦州駅の北側。錦州烈士陵園の奥にある。

 
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遼瀋戦役の前線で戦争を指揮する林彪(中)と羅栄桓(右)
遼瀋戦役の前線で戦争を指揮する林彪(中)と羅栄桓(右)
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昆明一二・一運動記念館

1945年秋、中国では再び内戦の危機が高まった。こうした中、昆明では11月25日、西南連合大学を中心に内戦反対の集会が開かれた。だが、国民党がこれを武力でもって弾圧したため、怒った学生らはさらに12月1日、各大学でいっせいにストライキをおこなった。ところが、国民党側はこれを再び弾圧。軍人や特務機関員を学内に送り込み、4人が殺害され、10余人が負傷するという事件が発生した。記念館では、この「一二・一運動」に関する資料が多数展示されている。 また敷地内にある墓地には、この事件で犠牲になった4人の烈士の墓をはじめ、 翌年国民党によって殺害された民主派人士、聞一多や李公樸の生前の衣服を埋めた衣冠塚がある。 墓地の入口の両側には、たいまつの形をした門が並び、その下に聞一多の「一二・一運動始末記」が彫られている。 雲南師範大学のキャンパス内にある。雲南師範大学はかつての西南連合大学。

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桂園

1945年10月10日、毛沢東と蒋介石が「双十協定」に調印した場所。中山四路にある。周公館の近く。

 
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江西革命烈士記念堂

江西で犠牲になった革命家の業績をたたえてつくられた記念堂。紅軍とソビエト政権が誕生した江西省は、中国革命発祥の地である。堂内には江西で犠牲になった烈士約25万人の名簿をはじめ、多くの資料が展示されている。また、安源労働運動の指導者黄静源、秋収蜂起の総指揮者盧徳銘、福建・浙江・江西境革命根拠地の創始者方志敏らに関しても多くのスペースがさかれている。市内、八一大道沿い。福州路の手前。
 
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淮海戦役総前委旧址

1948年11月、徐州付近にいた国民党軍の主力約80万を人民解放軍が破った淮海戦役のさい、鄧小平、劉伯承らが作戦司令部を置いた。安徽北部、淮北市灘渓県臨渙集の文昌宮と臨渙集東南の小李家荘にある。

 
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周公館

正式には中国共産党代表団駐滬弁事処旧址という。双十協定(1945年10月、国共両党間で結ばれた平和協定)にもとづいて周恩来らは代表団を率いて南京に赴き、交渉にあたったが、そのさい上海にも事務所を開設し、マスコミとの会見など主に対外的な広報活動を行った。思南路73号。豫園の西、復興公園の近く。孫文故居も近い。

 
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周恩来
周恩来
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上海宋慶齢故居

孫文夫人の宋慶齢が晩年をすごした家。ここはもともと宋慶齢の生家であり、解放以前、宋一族が暮らしていた邸宅である。慶齢は1948年、孫文と一緒に住んでいた香山路の家を記念館として国へあけわたし、かつて少女時代をすごしたこの屋敷に移ってきた。淮海中路1843号。淮海中路と華山路の交差点の東側。 衡山公園の近く。44、48路バスで徐家匯下車。

 
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宋慶齢墓

孫文の未亡人宋慶齢の墓。浙江財閥の次女としてうまれた宋慶齢は、1915年に25歳で孫文と結婚。35歳で孫文をうしなってからは、国民党左派として一貫して共産党を支援する側にたち、中華人民共和国建国後は名誉国家主席の称号を与えられた。1981年に北京で死去した後、ここに葬られた。園内に宋慶齢記念館が併設されている。虹口路の万国公墓の宋家の墓地にある。

宋慶齢と孫文
宋慶齢と孫文

 

宋慶齢(右)
宋慶齢(右)
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竜華烈士陵園

解放以前、上海で犠牲となった革命烈士の遺体をまつった陵園。広大な園内には、 烈士の姿をかたどった巨大な記念碑がたっており、上海烈士資料陳列館が併設されている。 陳列館には、辛亥革命以来の革命家や烈士、およそ200名あまりの事績が展示されている。 このうち第1展示室には、1925年から27年にかけて中国共産党が上海でくりひろげた 反帝反封建の闘争の歴史が紹介されており、五・三○運動とその指導者顧正紅をはじめとする 上海の労働運動に関する資料が展示されている。第2、第3展示室は、「壁外の桃花、壁内の鮮血」と題され、 国民党の龍華監獄で英雄的な最期をとげた中国共産党初期の農民運動指導者彭湃をはじめ、 左翼作家連盟の柔石や馮鏗ら、多くの烈士たちの事跡が展示されている。また、 龍華監獄で使用された刑具や拷問道具なども陳列されている。また第4、第5展示室は、 それぞれ支那事変と解放戦争時の烈士の事績が紹介してある。市内西南郊外、竜華公園の西、 漕渓北路にある。なお竜華公園は当時の龍華監獄である。

 
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