節兵義墳

 

アヘン戦争で犠牲になった75人の兵士を葬った場所。義勇之冢同様、長い間、荒廃して草むらに埋もれていたが、1958年 に発見され、歴史記念物として修復された。広東省東莞市。虎門の白草山の西麓、沙角砲台の背後にある。

 

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虎門要塞

威遠砲台

 

南の玄関口広州を防衛するため、珠江沿岸につくられた要塞跡。虎門要塞はもともと康煕帝の時代に築かれたものだったが、アヘン戦争前夜、欽差大臣林則徐と水師提督関天培によって拡充、整備された。当時は沙角砲台、大角砲台、威遠砲台などあわせて11の砲台が設置されていたが、現在は、沙角砲台と威遠砲台のふたつだけが歴史の風雪に耐えて残っている。広東省東莞県の南方、沙角にある。

【関連史跡】 付近の沙角公園内に、林則徐紀念碑がたっている。

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虎門アヘン戦争博物館

 

アヘン取り締まりの命をうけた林則徐は、広州へ赴くと海のすぐそばに巨大な人工池をふたつ造り、没収したアヘンを大量の石灰と一緒に投入。化学変化を起こさせたうえで海に流した。処分されたアヘンはおよそ1500トンにものぼり、人工池から生ずる白煙はその後、えんえん3週間にわたってたちのぼったという。ここはその当時、アヘンを処分した人工池があったとされる場所で、現在公園として市民の憩いの場となっている。なお園内にはアヘン戦争博物館と林則徐記念館があり、それぞれ当時の文物資料が展示されている。また博物館の前には、当時のアヘン焼却池と同規模の池が再現されている。広東省東莞市虎門鎮にある。

【関連史跡】近くにはアヘン戦争のさい、広州防衛のために設置された虎門砲台跡も残っている。

阿片を処分する林則徐
阿片を処分する林則徐
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沙面

 

西洋列強の中国侵略の足がかりとなった租界が置かれた場所。沙面は本来、日本の長崎出島同様、海禁政策をとる清朝によって設置された外国商人用の居住区にすぎなかったが、アヘン戦争後は治外法権を持つ独立行政区、すなわち租界として 生まれ変わった。敷地内には当時の外国商館や領事館だった南洋植民地風の重厚な石造建築がそのまま残っており、あたりを 覆ううっそうとしたガジュマルの老木とともにいまも往時の風情がしのばれる。なお当時は西半分がイギリス租界、東半分が フランス租界として使用されていたという。広東省広州市内の南方、珠江に面している。1、5、6、15路バスで622路あるいは黄沙下車。

官許を受けた中国商人
官許を受けた中国商人
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平英団義勇祠

アヘン戦争時に活躍した農民義勇軍『平英団』の戦死者をまつった祠跡。1841年5月、イギリスの侵略に抗して立ち上 がった農民義勇軍『平英団』は、牛欄崗で激しい戦闘を繰り広げた。そのさい犠牲になった20人あまりの兵士をしのんで 建てられたのがこの祠で、広東省広州市の北郊、石井橋の近くにある。なお現在の祠は、太平天国の乱後に建て直されたもの。また近くに 昇平社学跡がある。

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四方炮台遺址

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市内越秀山の頂上にある砲台でかつて広州城を見下ろす重要な要塞であった。1841年5月、沙面から広州城に上陸した イギリス軍がここを占拠し、司令部を置いた。また同月30日、『平英団』と称する武装農民がこれを包囲し、兵糧と弾薬の補給を絶った。だが、対英交渉に当たっていた清朝首脳の奕山がイギリス側の抗議に屈し、『平英団』に解散を命じたためかろうじて難を逃れた。広東省広州市内。

 

 

当時の広州市街
当時の広州市街
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三元里人民抗英団闘争紀念館

アヘン戦争時、イギリス軍に対抗した農民義勇軍、三元里人民抗英団を記念した歴史博物館。1841年5月、インド人傭兵を中心とするイギリス軍は広州に乱入、市内各所で暴行・略奪をほしいままにした。これに怒った三元里付近の農民は、『平英団』(英人を平らげる義勇軍の意)を結成。イギリス軍に対する抵抗運動をくりひろげた。 平英団は一時、牛欄崗付近でイギリス部隊を包囲し、全滅寸前まで追い詰めたこともあったが、イギリスの報復を怖れた 清朝政府の圧力によって強制的に解散させられた。この農民蜂起は、民衆による自発的な反帝反封建運動のはじまりとして、 歴史的にも大きな意義をもつものとされている。ここは、その平英団を記念して建造された歴史陳列館。もとは土地の古廟 だったところで、農民たちは決起前夜、ここに集まり、義勇軍の結成を誓ったと伝えられる。広東省広州市内。広州駅の北、解放北路をのぼった三元里にある。

 

平英団司令部
平英団司令部

 

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陳化成墓

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アヘン戦争で戦死した江南提督陳化成の墓。川鼻仮条約に不満をもつイギリスは、1842年、ヘンリー・ポッティンジャーを 全権としてふたたび軍隊を北上させた。途中、上海で清軍と交戦したが、この際、指揮していた江南提督陳化成が敵の挟撃にあい、 部下ととも に戦死した。収容された遺体はその後、生まれ故郷の福建省同安に近い当所に葬られた。福建省厦門市の郊外、 金榜山の麓にある。

陳化成
陳化成
上陸したイギリス軍
上陸したイギリス軍
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林文忠公読書処

 

林則徐の別荘跡。中華民国時代、アヘン戦争の英雄林則徐にちなみ、禁煙亭が併設された(禁煙はアヘン禁止の意)。福建省福州市内 西北の西湖の荷亭のかたわらにある。

 

林則徐
林則徐
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林則徐墓

 

林則徐の墓。アヘン戦争の英雄として有名な林則徐の晩年は、その業績に反して不遇だった。アヘン戦争開戦の責任を問われ、 新疆のイリ(現、新疆自治区の伊寧)に左遷された林則徐は、その後、雲貴(雲南・貴州)総督に返り咲いたが、やがて病を 得て退官。だが、翌年、太平天国の乱が勃発すると再び皇帝の命が下り、その討伐を命じられた。しかし、病をおして現地へ と赴く途中、潮州で死去した。1850年10月19日のことだった。墓には、林則徐夫妻をはじめその父母および弟夫妻が 合葬されている。福建省福州市北郊の馬鞍村、金獅山のふもとにある。

 

阿片窟
阿片窟
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