陳独秀墓

陳独秀
陳独秀

中国共産党の創設者、陳独秀の墓。陳独秀は1879年、懐寧(今の安慶市)の出身。清朝末期から革命活動に身を投じ、 辛亥革命後は北京大学の文学部長をつとめた。1915年に雑誌『新青年』を創刊し、マルクス主義を中国に紹介するかたわら 中国共産党の創設に奔走。1921年、上海で開催された中共第1回大会では総書記に選出された。その後、中国共産党の指導者 として活躍したが、1927年の蒋介石の反革命クーデターをきっかけに総書記の座を追われた。晩年は反毛沢東の立場をとり、 毛沢東の遊撃戦術を「遊んで撃たない」と批判するなどした。1942年、四川江津県で病没した。安慶市内北門外にある。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

熊成基安慶起義会議旧址

熊成基安慶起義会議旧址は1908年10月26日、熊成基率いる 安慶駐屯の新軍内の革命党員が決起した事件。ここは決起直前、 指導者らが作戦会議を開いた建物跡である。ちなみにこの決起は他の部隊の呼応が遅れたため失敗に終わった。安慶市街東北隅、 楊家塘の葉氏会館にある。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

張楽行故居

捻軍の首領張楽行の生家。捻軍は太平天国時代、安徽から河南、山東にかけて蜂起した農民反乱軍で、 のちに太平天国軍と連携しながら反清闘争を展開した。張楽行はその 盟主として「大漢国」の王、「大漢明命王」を 自称した。安徽省亳州市渦陽県の県城西北の老張家村にある。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

淮海戦役総前委旧址

1948年11月、徐州付近にいた国民党軍の主力約80万を人民解放軍が破った淮海戦役のさい、鄧小平、劉伯承らが作戦司令部を置いた。安徽北部、淮北市灘渓県臨渙集の文昌宮と臨渙集東南の小李家荘にある。

 
[ad#adsense]
 

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

徑県新四軍軍部旧跡記念館

紅軍主力が長征に出発した後も、華南に残ってゲリラ戦を続けていた紅軍の一部は、第2次国共合作成立後、 国民党軍に組み込まれ、新編第4軍と呼ばれることになった。新四軍は、華中深く侵入した日本軍の背後を おびやかすなど、抗日闘争にも大きな活躍をした。ここは、その新四軍の本部跡に建てられた歴史記念館で、 付近には参謀本部、政治部、大ホール、兵器工場、葉挺旧居、葉挺橋、中共中央東南局などの旧跡が 散在している。また1941年1月、国民党の命令によって移動中の新四軍部隊約9000人を 8万人あまりの国民党軍が突然、急襲、軍長の葉挺を捕え、副軍長の項英を殺し、兵士8000人を 虐殺した皖南事件のさい、新四軍の一部が国民党の包囲網を突破した戦跡(章家渡)も残っている。 安徽南部、徑県の西方25キロの雲嶺山にある。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!