周恩来鄧穎超紀念館

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周恩来が15歳から19歳まで学んだ母校南開中学の建物跡に設置された歴史資料館。館内には、学生時代の作文や演説稿、 卒業証書をはじめ、のちに彼が主筆をつとめた「天津学生連合会報」や獄中闘争を記した「警庁拘留記」などが展示されており、 若き日の周恩来の足跡をしのぶことができる。南開区南開四馬路。12路バスで五馬路下車。【関連史跡】なお日本留学から帰国した 周恩来が入学した南開大学には、「我是愛南開的」と書かれた記念碑と周恩来記念室がある。

周恩来と鄧穎超
周恩来と鄧穎超
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天津覚悟社旧址

五四運動後の1919年9月、周恩来が中心となって組織した学生運動団体・覚悟社が置かれた場所。覚悟社は、 中国共産党創設以前に初歩的な共産主義思想を広めた革命団体のひとつで、参加者のなかにはのちに周恩来の妻となる 鄧頴超もいた。木造の小さな平屋で、当時、メンバーはここで機関誌「覚悟」を編集していた。河北区宙緯路三戒里4号。

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天津教案事件現場(望海楼教堂)

「天津教案」の舞台となったフランス系の教会。第2次アヘン戦争(アロー号事件)後、キリスト教の内地布教が認められると、 宣教師と一般民衆との間にはさまざまなトラブルが頻発するようになった。なかでも有名なのが、1870年にこの望海楼教堂で おこった天津教案である。発端となったのは、教会付属の孤児院で幼児が次々と死亡した事件。これに不審を抱いた中国人の間で 「孤児院というのは幼児を殺害して薬を作るところだ」といううわさが広まり、やがて一部が暴徒化、フランス領事をはじめ 教会関係者100人近くが殺害されるという惨事へと発展した。ちなみに現在の建物は、1904年に建て直されたものである。河北省天津市、天津駅の西北、 海河にかかる獅子林橋のたもとにある。

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大沽口砲台

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渤海湾に面した砲台跡。もとは明代に和冦に対抗してつくられた海防施設だったが、アヘン戦争後に本格的な要塞として 拡充強化された。第2次アヘン戦争(アロー号事件)のさい、 英仏連合軍によって破壊されたが、その後、再整備され、 河口の南北両岸に5つの大きな砲台が設けられた。しかし1900年、義和団事件の結果、列強との間に辛丑条約が結ばれると、 渤海湾から北京にいたる軍事施設は廃棄されることが取り決められ、その際、この大沽口砲台も破壊・撤去された。現在、 南岸にある1門だけが破壊をまぬがれ、残っている。天津市の南東60キロ、海河が海にそそぐ大沽口の南岸にある。

大沽口砲台
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