金日成読書記念堂

朝鮮独立運動の指導者金日成が、青年時代に学んだ吉林毓文中学跡。吉林毓文中学は1917年の創立で、 金日成が在学していたのはちょうど「満州国」建国前後の1930年代はじめごろといわれる。 東北における学生運動とメッカとしても有名で、35年には当局の圧力によって閉鎖された。 学校を中退した金日成は、その後、本格的な抗日活動に入り、やがて伝説的な抗日運動指導者となっていった。なお、後に北朝鮮の元首となった金日成は、伝説の金日成とは別人の偽者であるという説も根強く噂されている。館内には当時の生徒用の帽章・ボタン・机・椅子などが展示されている。場所は市内南西部、 臨江広場近くの吉林毓文中学。

 
[ad#adsense]
 

壇上の金日成(右)
壇上の金日成(右)
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

長白山抗日ゲリラ根拠地

長白山は中朝国境にそびえる山で、海抜およそ2000メートル。頂上に「天池」と呼ばれる美しい火口湖があり、 古くから朝鮮民族の聖地として崇められてきた(朝鮮では白頭山と呼んでいる)。鬱蒼とした森林に覆われた 広大な山岳地帯は、日本による韓国併合直後から満州国時代にかけて、亡命朝鮮人を中心とする 抗日ゲリラたちの一大拠点となっていた。なかでも有名なのが、金日成率いる抗日部隊で、 その地形を巧みに利用した神出鬼没のゲリラ作戦は、満州国側の討伐隊をおおいに悩ませた。 現在、麓から山頂にかけて大勢の抗日烈士の墓が、沿道に並んでいる。吉林南部、 渾江から出ている渾湾線の終点、白河が登山の起点となる。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

溥儀旧居(満州国終焉の地)



ストリートビューが設定されていないので、一番近い白山市を表示しています。

ソ連参戦後の1945年8月、溥儀とその側近は関東軍の命令で、満鮮国境の大栗子に避難した。 新しい「皇宮」となったのは大栗子鉱業所所長の自宅だった建物。そこは当時、市内でもっとも立派な造りの家だったが、部屋は全部あわせても6部屋ほどしかなく、皇后や侍従などを収容するといっぱいになったという。しかも壁の薄い日本式の家屋だったため、隣同士たがいに音が筒抜けで一日中がやがやうるさかったと後に溥儀が自伝のなかで回想している。その後、ラジオなどで日本敗戦を知った溥儀らは、満州国の解消を決定。近くの大栗子鉱業所社員食堂に廷臣、 大臣らを集めて正式に満州国解散を宣言した。場所は大栗子市内。大栗子は通化から渾江をへてさらに奥地の北朝鮮との国境地帯にある。

 
[ad#adsense]
 

溥儀らが利用した大栗子鉱業所食堂
溥儀らが利用した大栗子鉱業所食堂
伪满皇帝溥仪行宫
伪满皇帝溥仪行宫
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

通化事件跡

1946年2月3日、日本敗戦後、進駐してきた中国共産党軍に対し、日本人が武装蜂起を行った。 通化事件と呼ばれるこの衝突によって、決起部隊の大部分が戦死し、残った日本人も獄死するなど 合わせて1000人以上が犠牲になったといわれる。一説によると国民党軍が裏で蜂起を画策した といわれるが、真相はいまだ謎に包まれている。戦闘は市内各地で発生したが、 もっとも激しかったのは、当時中国共産党司令部が置かれていた龍泉ホテル周辺での戦い。また、 戦闘の合図となった烽火は市内東隅にある玉皇山で上げられた。

 
[ad#adsense]
 

通化事件で重要な役割を果たした藤田大佐
通化事件で重要な役割を果たした藤田大佐
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

楊靖宇記念館

抗日連軍の指導者・楊靖宇将軍殉難の地を記念して建てられた歴史陳列館。「東満」 を拠点に反満抗日ゲリラ闘争を続けていた楊靖宇は 、1940年2月、満州国側の徹底掃討作戦によって 長白山の麓のこの地に追い詰められ、岸谷隆一郎率いる満州国警察匪賊討伐隊によって射殺された。 靖宇県(もとは濛江県)にある。館内には楊靖宇に関する500件以上の文物資料が展示されている。

 
[ad#adsense]
 

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

靖宇陵園

抗日連軍の指導者で日本軍に殺害された楊靖宇の遺体を安置した陵園。楊靖宇(1905~40)は、 河南出身の共産党員で東北抗日連軍の指導者。満州事変ののち中共中央の指令で「満州」へわたり、 東北抗日連軍第1路軍を結成、「満州」各地で活発な反満・抗日ゲリラ活動を展開した。だが、 日満連合討伐隊に追われ、1940年2月、濛江県(現、靖宇県)の山岳地帯に隠れていたところを発見され、 殺害された。死後、遺体を解剖したところ、胃のなかには木の根や野草しかなかったという。渾江東岸の丘にある。

 
[ad#adsense]
 

楊靖宇を捕らえた日本の討伐隊
楊靖宇を捕らえた日本の討伐隊

 

東北抗日連軍記念館

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

老頭溝「万人坑」跡

日本統治時代、「過酷な強制労働」によって犠牲になった人々の遺体を埋めたといわれる万人坑跡。 坑内にはいまなお1万名以上の遺体が埋まっているという。現在、遺骨陳列館が併設されている。 老頭溝鎮の北、元宝山の南斜面にある。

 

[検 証]老 頭 溝 坑
中国の主張する歴史に虚偽が多いのはもはや公然の秘密といってよいでしょう。いわゆる「万人坑」も例外ではありません。このサイトでは、ここで取り上げた老頭溝万人坑を含め、「万人坑」なるものの事実を検証し、中国側のねつ造を暴きだしています。一読の価値あり。

0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

間島日本総領事館旧址

現在の延辺朝鮮族自治区はかつて「間島省」と呼ばれていた。その間島省を支配するために日本が設置した総領事館跡。 現在は、龍井市委市政府大院となっている。満州事変前夜の1930年5月、朝鮮人共産主義者による一斉蜂起、いわゆる間島共産党暴動の際、襲撃対象となった建物でもある。龍井市、吉勝街東北端北側。

 
[ad#adsense]
 

朝鮮共産党員
朝鮮共産党員

 

間島共産党暴動を伝える新聞
間島共産党暴動を伝える新聞
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

張鼓峰事件跡

1938年7月31日、ソ満国境の張鼓峰で起こった国境紛争。豆満江を臨む張鼓峰はもともと満州国の領土だったが、この年7月、ソ連軍が突然やってきて山頂に陣地を構築しはじめた。
日本政府は当初、外交交渉によってこれを解決しようとしたが、功をあせった現地の日本軍が独断で出動、ソ連軍に夜襲攻撃をかけ張鼓峰を奪回することにいったん成功した。ところが、ソ連軍はこれに対し、飛行機、戦車、重砲など当時世界の最先端を行くハイテク兵器を総動員して徹底的な反撃に出る。
こうしたソ連軍の猛攻の前に、前近代的で貧弱な装備しか持たなかった日本軍はなすすべもなく、戦死者の数は一時、日に200人を数えるまでになったという。これに対し、軍中央には撤退すべきという声もあったものの、参謀本部は撤退は不名誉なこととしてこれを拒否。日増しに増える犠牲者を無視し続けた。
これを救ったのは、8月10日にモスクワで結ばれた停戦協定だった。これによってソ連軍の猛攻は止み、現地日本軍はかろうじて全滅を免れたのだった。
これは近代化されたソ連軍の実力を日本軍が身を以て思い知らされた事件であった。しかしながら、ここでの教訓はいかされることなく、翌年のノモンハン事件では、 日本軍にさらに大きな犠牲を強いることとなった。現場は琿春市の東方。図面江沿いのロシアと北朝鮮との国境地帯。

 
[ad#adsense]
 

auto → ja
交渉
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!

万宝山事件跡

1931年7月2日、朝鮮から入植した朝鮮人農民が用水路の開設工事をめぐって地元の中国人農民と衝突した事件。その直後に発覚した中村大尉殺害事件とともに満州事変の遠因となった。長春の西北約30キロ。扶余市と長嶺を結ぶ中間にある。

 
[ad#adsense]
 

万宝山の朝鮮人集落
万宝山の朝鮮人集落
0
中国捏造近現代史観光史跡をつぶやいてます!