ホロンバイル事件跡

1932年9月27日、日本軍の満州占領に反対して元国民党黒龍江省駐留軍の蘇炳文らが満州里で挙兵。 特務機関長、国境警察署長など在留邦人数百名を監禁した後、ハイラルに進攻、東北民衆救国軍を名のり、 ホロンバイル独立を宣言した。事件の主な舞台は満州里とハイラル。
 
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ホロンバイル事件を報じる新聞
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ノモンハン事件跡

1939年5月から9月にかけて満州国とモンゴル人民共和国との国境地帯で戦われた戦争。日本では一般にこれを「ノモンハン事件」と称しているが、モンゴルでは、戦場がハルハ河付近だったことから「ハルハ河戦争」と呼んでいる。

当時、満州国と日本は、モンゴルと満州国との国境線をこのハルハ河と決めていた。ところが、モンゴル側はハルハ河から満州国側に入った地点を国境線とみなしており(これは歴史的にみてモンゴル側の主張が正しかったという説がある)、5月12日、 突然越境して陣地を構築し始めた。これを迎え撃とうとして関東軍と満州国軍が出動、ここに数カ月にわたる悲惨な戦いが開始されることとなった。

モンゴル軍はソ連軍の支援を得て、 戦車や飛行機を含む圧倒的な機甲軍団を投入。対する日本側は貧弱な装備しか持たない上に辻政信参謀の作戦ミスなどもあり、火炎ビンなどほとんど素手同然でソ連軍の重戦車に立ち向かわねばならなかった。犠牲者の増大を懸念した陸軍中央は、関東軍に対して再三、戦闘中止を要請するも辻政信少佐は「北辺の些事は関東軍に依頼して安心されたし」と返電、なおも無謀な戦いを続行しようとした。

しかし同年9月ナチスドイツが、突如、ポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が始まると日ソともにノモンハンのような局地戦にかかずらっている余裕がなくなりまもなくモスクワで停戦協定が結ばれた。ここに日本側犠牲者の数1万8000名ともいわれるノモンハン事件がようやく終結した。

中国側に最も近い都市はハイラルの西南、約150キロほどの新巴尓虎左旗。

ノモンハンの戦い
ノモンハンの戦い
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満蒙独立運動関連史跡

満蒙地域を独立させようという試みは、満州事変以前にも何度かあり、なかでも有名なのが辛亥革命後二度にわたって発生した満蒙独立運動である。

このうち第一次満蒙独立運動は、清朝崩壊直後の1912年に起こったもので別名宗社党事件ともいう。中心となったのは粛親王ら清朝遺臣からなる宗社党という清朝復辟をめざす満州人の政治結社。これに川島浪速をはじめとする日本人大陸浪人グループが義勇軍として加わっていた。

辛亥革命直後、最後の皇帝となった溥儀は、事実上北京に軟禁状態にあったが、これを新政府による満州併合の謀略とみた川島は筆頭皇族だった粛親王をかろうじて満州の旅順に脱出させることに成功(辛亥革命後に樹立された中華民国政府が廃帝溥儀を故郷の満州へ帰らせず、北京に監禁したのは清の版図をそっくり新政府のものにしようという腹づもりからであった)。同時に清朝派のモンゴル人とともに満州民族の独立を旗じるしに蜂起を試みた。

計画によれば、日本から調達した武器を満鉄線公主嶺から内蒙古のカラチン王府とパーリン王府まで秘密裏に輸送。同地のモンゴル人部隊による武装蜂起を促すというものであった。だが、武器輸送の段階でこれらの動きが発覚。中国側を通して欧米諸国の知るところとなったことから外交問題になるのを懸念した日本政府によって中止命令が出された。

 
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伊達順之助
伊達順之助

1916年の第二次満蒙独立運動の首謀者となったのも、やはり宗社党と日本人大陸浪人グループであった。今回はこれに加え、蒙古独立を悲願とする蒙古人パプチャップ(バボージャブ)が主力部隊として参加していた。また檀一雄の小説『夕日と拳銃』の主人公となった日本人馬賊・伊達順之助も加わっていたという。

計画ではまずパプチャップが北満州でのろしを挙げた後、それに呼応する反乱部隊とともに奉天を一気を占領。さらに北京を襲って内外蒙古と満州および華北を併せた「北清帝国」を建設するというものであった。

だが、この計画も袁世凱の急死によって再び頓挫する。袁世凱打倒という大義名分を失った日本政府は外交摩擦をおそれまたもや中止を命令したのである。その結果、すでに挙兵していたパプチャップは孤立無援の状態に置かれたまま敗走。内蒙古の林西まで逃げ延びたところで流れ弾に当たって死亡した。ここに第二次満蒙独立運動も第一次と同様あっけない幕切れを迎えたのである。

なお、この第二次独立運動には、日本の財閥大倉喜八郎も一枚かんでおり、当時の金で百万円を資金として差し出したといわれる。一説によれば、間島(満鮮国境地帯)に東洋のスイス ともいうべき中立の独立国を造り、大倉をその王にするという密約が川島らと交わされていたというがたしかなことはわからない。カラチン、林西ともに内蒙古自治区内にある。

バボージャブ
バボージャブ
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