孫文の機転

東京の孫文
東京の孫文

赤坂の内田良平宅で行われた同盟会結成準備式には、かなりの数の革命家が集まったと伝えられている。ところが、あまりに大勢の人間が詰めかけたため、会の途中、床が突然抜けるというハプニングが起こった。その瞬間、革命家たちの顔色がさっと曇った。いくら進歩的な革命家たちとはいえ、当時の迷信からも完全に自由であったわけではない。「床が抜けるなど不吉な…」誰もがそう思ったからである。だが、そこはさすが孫文。「清朝の屋台骨をぶち抜いたぞ!」ととっさに機転をきかしたため、一同はかえって気勢をあげたという。

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特別任務班の悲劇

横川省三
横川省三
日露戦争の裏面史を彩ったのは多くの謀略工作であった。なかでも有名なのが、横川省三、沖禎介ら特別任務班によるそれである。その密命はチチハル南方の嫩江にかかるフラルジ鉄橋の爆破であった。 一行は一九〇四年二月二一日未明、北京を出発。最初の目的地であるカラチンを過ぎ、赤峰、そして烏丹と内蒙古雪原を猛吹雪に悩まされながらひたすら北上を続けた。ところが、約五〇日後の四月一二日夕、大興安嶺山脈のふもとで天幕を張っていたところを不運にも巡回中のロシア兵とばったり遭遇。捕らえられた一行はハルピンへ護送され、そこで銃殺刑に処されたのであった。
なお、このとき、二人は所持していた一千両をロシア赤十字社に寄付したいと申し出たという。これに対し、ロシア軍司令官は「この金は君らの家族へ送ったほうがよいのではないか」と日本への送金を勧めたものの、二人はがんとして譲らず、司令官を感動させたと伝えられている。

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幻の台湾民主国

 

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日清戦争後に結ばれた下関講和条約によって、台湾は清国から日本へ割譲されることになった。しかし、一部の台湾人がこれに反発、1985年5月25日、台湾巡撫唐景崧を擁立して台湾民主国を成立させた。だが、日本政府は条約にしたがい台湾を接収すべく軍隊を派遣、6月7日に台北が陥落すると、唐景崧はじめ主だった指導者はいちはやく大陸へと逃亡した。
その後、現地に残ったのはゲリラ化した民衆と台南に拠る劉永福軍のみであった。劉永福は、かつて清仏戦争の際、黒旗軍を率いて戦った名将である。台湾独立派は、彼に最後の望みをつないだものの、いかに往年の軍事天才といえど、日本との間の戦力差はいかんともしがたい。10月19日、台南も陥落すると、劉永福は対岸の厦門へと逃亡した。わずか五か月足らずでついえさってしまった台湾民主国であったが、仮に独立派が勝っていたなら、アジア最初の共和国となっていたはずである。

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